19世紀の哲学者ヘーゲルは、『法哲学概要』のなかで、「ミネルヴァの梟は黄昏になって初めて飛び立つ」と述べている。ミネルヴァ(アテナ)は女神の名前であり、梟は彼女が同伴している「知恵者」の象徴である。この短いアフォリズムには、二つの含意がある。思索は日輪様が天高く輝き世界をくまなく照らしているときではなく、黄昏時になり闇の粒子があらゆる隙間に滑り込み始めるときにするものである、という意味がひとつ。もうひとつは、啓蒙の光が世界すべてを照らし出し、西欧的「理性」が、その自己を実現する「目的=終わり」の達成に於いて初めてその全能の姿を現す、という意味である。 最近訪れた津軽金山焼は、私にその梟を想起させた。五所川原のはずれ、焼き物の材料となる粘土が蓄積された溜め池に囲まれた場所に、それはあった。陶芸家たちが世界から集まり、片田舎にインターナショナルな空間が、草叢の中の御柱のごとく屹立している光景を