「偏見」持って警戒する 川崎の無差別殺傷事件について、どこに怒りをぶつければいいのかも分からず、防ぎようがないただただ悲惨な事件というしかない。 子供が外で行動してたら、必ず見守らなければならないとしたら、子供監視国家になる。 ただ一つ思いつくのは、「偏見」の重要さである。 近所に危ない奴がいる、異常な雰囲気の奴がいる、なんか恐い奴がいる、孤独で絶望してそうだ、そんな奴がいたら、近所の大人たちが常に警戒しておくか、警察に届けて巡回訪問してもらうべきじゃなかろうか? 「偏見」も社会秩序を守る一つの有効な手段ではないか? 共同体が壊れても、きちんと挨拶ができないとか、ちょっとしたことで怒鳴り込んでくるとか、そういう奴には「偏見」を持って、近所で噂しあい、警戒しておくことが必要だろう。 子供に近寄らせないように見張っておく必要がある。 それは差別に繋がるとか、リベラルぶって言う奴は、孤独な絶望者