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森博嗣氏の最近の発言はミステリ作家の著作権意識、くらいの問題に捉えられているような気がするけれども、もう少し重要な問題を提起しているようにも思える。 よく、韓国や中国に対して、著作権の考えが浸透していない、と非難することがあるけれど、日本も相当にこの意識は低い。つい最近まで、パソコンのソフトなんかコピィし放題だったではないか。職場でソフトをコピィするようなことがあれば、解雇あるいは懲戒免職くらいの措置がいずれ一般的になるだろう。 図書館や古本屋については、新刊の場合には発行後1年間ほどは閲覧や販売ができない、というルールに、近い将来は向かうのではないか。傍から見ていると、そんなところが、とりあえずの落としどころに思われる。 http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/05/post_1142.php この発想を、ナンセンスとして切って
僕は読解力がない。そう思うんだよ、増田の兄弟。 あのエントリーのどこを読めば、新古書批判になるのか分からない。 あれって、色々著作権のことをグダグダいってみせて、 オチで「まぁ、僕の本なんかが流通するなんて笑っちゃうよね。新品どころか中古でだって、ぷぷぷ。焚書じゃんフツー」 っていうジョークでしょう。 本屋さんやってて、わざわざ森博嗣のエッセイをチェックしてたりするほど森博嗣の芸風を知ってそうな人間が、 あんなのに対して怒ってみせる。マジギレした態度をとってみせる。 そして、新古書のことについて、著作権のことについて語る。 あのさー。森博嗣のエントリーなんてあの著作権論を聞いてもらうためのフックじゃん、どう考えても。 「僕の本なんて、燃やしちゃえよ」ってジョークでいってる人に対して、マジギレ。 >中古品に回らないように燃やせ、って、そりゃないぜ。 どう読んだら、こう解釈できるんだろう。本当
雑文■ふぅ〜んという話なんかヤマダ電機がいい感じになってる。ここに簡単なまとめ 今回問題になってるのはヘルパー問題なのだけれども、当然これは氷山の一角に過ぎないわけで、本質的には量販店のメーカーイジメが問題であって結論を言えば量販店が力持ちすぎてしまいました。止める対抗勢力もないよねという身も蓋もない話。 畑違いではあるけれど、量販店のビジネスに非常に疑問を感じている漏れが書いてみよう。畑違いなんで話半分で。 ■量販店の超パワー日々の業務レベルで量販店からメーカーに加えられる圧力はグレーというか、完全に黒だろ?というレベルというのが実情かと。もちろん証拠が残るのは一部分であって、量販の黒い行動の8割がたは量販店からメーカーにはいる1本のTELで処理されてると思われる。「へー、ヤマダとやるんだ、それじゃあウチでは扱えないね」「ウチで扱ってもいいけど、量販TOP10で同じ事やったら扱いやめるね
先日の自閉症勉強会の質疑応答で聞いた、「自閉症の子どもはコミュニケーションしたくてたまらないんです。脳性麻痺の子が歩きたくてたまらないように、視覚障害の子が見たくてたまらないように、聴覚障害の子は聞きたくてたまらないように」という言葉にこだわり続けている。発言者は自施設で親御さんにそう言い聞かせては抱っこ指導をしてると自慢げに仰ったのだが。 定型発達の人らにはコミュニケーションそのものが強化子になる。コミュニケーションから何かが得られるからではなしに、コミュニケーション自体に、自己目的化するほどの喜びが得られるわけである。わけである、って訳知り顔に言っちゃうけど、多分そうなんだろうなと、高校時代に群れ集って弁当を食べる級友達を見て思ってたわけだ。私とてブログを書いてたりするわけだし、コミュニケーションに全く喜びが感じられない訳じゃないんだけれども、それは恐らく後天的に覚えた喜びだ。たぶん定
自分を語りたがらない人々 - 深く考えないで捨てるように書く こんなにコメントやブックマークコメントをいただくと思わなかったので、驚くと同時に感謝いたします。 別に大したこと書いてないのになぁ、と思ったんですが、あとから読み返して引っかかったのはここかなと。 以前は、どんな場でもなんとなくROM(read only member)がいることが暗黙の了解だったが、最近のネット環境だと、ブログ・日記にしろ、SNSにしろ、2chのような掲示板にしろ、twitterのようなミニブログにしろ、発信(発言)しない=いないも同然、という感触になっている。 自分を語りたがらない人々 - 深く考えないで捨てるように書く いないも同然、が、私から見ていないも同然、とも読み取れますね。 そういう意味ではなく、ネット環境全体の中で、発信しない人の影が薄くなっている気がする、という意味でした。 私からみると、自ら意
むしろその場にいる人間の誰よりも読んで理解しているわけですよ。 その場の空気の脆弱性を見つけ、そこを突いて空気が乱れる様を見るのが楽しいだけで。 そのためにはまずその場の空気を100%読み切らないといけないので大変ですよ。 もちろん読むだけでは駄目で、その100%理解した空気を完膚無きまでに破壊するコードを自分で考えなきゃいけない。 さらにそのコードをシンプルかつエレガントな必要最小限の単語数でもって、当事者全員にも理解できる自然言語で実装しないといけない。 んでもって口から吐き出して実行する際にも見せ方が重要でこれには天性のセンスが必要なわけです。 その空気を読んだ瞬間から実行までの約1ミリ秒の間にこのような高度に知的な脳内活動行為が存在するわけです。 その事を理解もせずに「空気読め」とだけしか言ってこない人間に対しては心外とまでは思いませんけど何だかなぁとは思うわけです。 http:/
自分にまつわる情報を極力出したくない人、と言い換えることもできるか。 ネットで長年活動していると、こういう人たちがいることに気づく。 実は実生活でもいるのだが、実生活ではあれこれ自分について語らなくてもコミュニケーションがとれるものなので、あまり意識しない。ネットだと、言葉をやりとりをしてなんぼ、なので、あれ? と気がつく。 古くからのネットの知人でも、ブログはおろか、クローズドのmixi日記でも、自分自身についてほとんど書かない人がいる。自分の食べたものや、自分の行ったところ、ネタ的なものなどについては、時々簡単に書くが、それについて自分がどう感じたか、は書かない。それなら活動してないのかというと、そういうわけではなくて、他の人のブログや日記はけっこうまめに読んでいる。 他人とつながることを忌避しているわけではなく、自分自身の情報、特に心理的なことや感情的なことについて表に出すことを忌避
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