違いますか? このあたりのことは書いた記憶があるけど、いい題材が見つかったので(笑)繰り返して。 誰にも内緒でブログ書いてる人手挙げて - 明日は明日の風が吹く: 誰にも内緒でブログを書いている人の中で 家族にも内緒でブログを書いている人に挙手をしていただいたなら 挙手。 だけどね、ひとついい? 「手挙げて」っていう、コミュニケーションを望んでいながら、それをトラックバック機能をポリシーとして持たない"はてなブログ"で言いますか、という…… 関連→「言及しあう文化」を終わらせたいのですか。(2011.11) それはともかく、「リアル知人だからこそ」知らせないです。 こっぱずかしい、というのももちろんですが、こちらの方の言い分と、全くおなじ。 ブログと恥 - ウラガミ: 「所属するコミュニティごとに独立したペルソナがあって、そこをはみ出すのが恥ずかしい」って感じでしょうか。 Aというコミュニ
もうずっと運営側から周年に関する言及はなかったはずですが、さすがに10周年ともなると記念ページもあるようで。 ココログ10周年 ココログ白書:@nifty ココログと、そして、1日おくれで始めたこのブログも10周年の日を迎えることとなりました。 周年ともなりますと、ココログの──イコール、日本のブログシーンの──スタートを飾ったあの芸能人やあの実業家は今いずこ、という感傷に浸るわけでございますが。 栄枯盛衰。 諸行無常。 振り返ればもう何年になるでしょうか、ブログの世界から、コミュニケーション──あたらしい、しらないだれかとのコミュニケーション──の要素は、すでに消え去っていました。 ココログの優秀なフィルターに止められて表には出てきませんが、こんな更新のないブログにさえ、日々数件もの(妙なサイトへの誘導目的の)迷惑コメントが来ているくらいですから、奴らが(コミュニケーションを)殺した、と
──追記── 引き続き次稿において、わたしがメインに問いかけたいことをすこし詳しく書きましたので、そちらも参考にしていただければと思います。 『わたしは』「フリーソフトに社会的責任ありやなしや?」ということをメインに問いたいのではない旨、ご理解いただきたく思います。 「フリーソフトに社会的責任を求めるなどナンセンスだ」という声が大きいみたいなので確認しますよ! フリーのTwitterクライアント(作者)に無茶振りをしたひとがいたらしいのが発端の議論: 代表して『Togetter - まとめ「夜フクロウの件に関するさまざまな反応」』を参考リンクにあげておきますが…… ……個人的には、有料か無料か、意図したか否かに関わらず、結果として社会に影響を与え(てしまっ)たら責任も発生しちゃうんじゃないかなぁ?、という気もいたしますが、 繰り返しますが「フリーソフトに社会的責任を求めるなどナンセンスだ」
紙カップに変わって、ついでに(?)各種表示が親切になったと評判の日清CUPNOODLEでございますが。 写真の通りフタに「必要なお湯の目安量」と表示がございます。 これが……! 味によってこの「必要なお湯の目安量」に違いがあることに皆様お気づきでございましょうか。 手持ちのシーフードヌードルと並べてみました。 このように、 カップヌードルは300ml。 シーフードヌードルは310mlなのでございますね。 ちなみにカレーは300ml表示でございます。 (いづれもレギュラーサイズ) 具材の吸水量に違いがあるのでございしょうか、 上記サイトでは解説らしきものは見つけられませんでしたが。 季節/地域限定品につきましては手持ちがありませんので存じませんが、 ほかにもプラスマイナスはあるのではないかと推測いたします。 次回お買い上げの際には注意してご覧頂くと面白いかもしれません。 以上、本日のトリビア
前稿(の区切線より下)を書いて、さらに言及もいただきまして、少しパソ通時代のノスタルジーに浸っていたわけですが、そのつながりで。 ……とその前にひとこと。 あの頃は「キロbps」の通信速度で「従量課金」だった、のも大きな要因なんですよね、と。 さて。 (ニフティの)フォーラムがなくなって、すなわち自動巡回ソフトの恩恵から離れて、考えを改めたこと。 『「IDとパスワードを入力してログイン」という動作は、実はそれほど面倒ではなかった』ということ。 フォーラムがWeb(ブラウザ)経由のアクセスを始め、のちにWebフォーラムに移行したときに、自動巡回べったりだった私は「毎回毎回IDとパスワードを入力してまで、誰が見に来ようと思うか」と思っていましたし、(かつてあちら側で)何度も書いてきました。認証画面というシロモノの壁はものすごく高く厚いものだと……実際面倒だったはずなのですが。 何のことはない。
護身。以上。 保身、と言いかえても良いかもしれません。ちょっとネガティブなニュアンスを放つ表現ですが。 ブログ/ネットに書くことに対する心構えがどうたら、辺りで。 読み手にとってのメリットデメリットとか議論しているようでしたが。 それ以前に、自分にとってのメリットデメリットを吟味しなきゃいけないんじゃないの? 思ったことを(ためらわず)どんどん書いてみよう!という趣旨のことを繰り返し説かれる方々は少なからず居られるようですが、ならばと実行に移そうとする人が居られるならその人たちにはちょっと待って、と言いたいのです。 もしそれで自分が何らかの傷を負ったとして、煽った先人達を責めても、誰一人相手にしてはくれないですよ? まぁ、(リアルの)生活に支障が出ない限度において、であれば、不注意その他で多少の痛い目にあうのはある意味訓練として肯定するのもアリかな、とは思わなくもないですが。 ブログに書く
サービス開始35周年おめでとうございます。 そしてサービスを続けていただき、ありがとうございます。 自分にとってニフティと言えばさすがに今はココログと答えるでしょうけど、 やはりネットコミュニケーションの原体験としてのNIFTY-Serveであって。 職場で自組織の外からのメールを振り分けるフォルダに[INET GATE]の名を付けるくらいには! さてここで35周年によせてNIFTY-Serveの──なにより、フォーラムの──思い出を詳細に書いたところで、"中の人"にもフォーラム全盛期を知るひとはどれだけ残っているのか、理解いただけるのかと思うとかなり疑問ですし、なによりパソコン通信絡みの話はここで過去さんざん書いてきたわけでして。 →カテゴリ:フォーラム@NIFTY さて。 ここまでネットになにかを書くことを続けることができているのは「場の縁」、フォーラム時代の縁に恵まれたとしか言いよう
「話」がしたいのも「言いっ放し」がしたいのも分け隔てなく存在しているからなぁ。 (一人の中でも時と話題によって両方ある場合もあるけど) ウェブコミュニケーションのある限界 - novtan別館: 直接コメントをつけるときには、「この人とは話ができるだろうか」と言うことを過剰なまでに意識する。ましてやメールするだなんて。 そういった一つ一つの積み重ねを必要とせず、ずばーんと切り込める人、というのもいる。ただ、僕はそういう人は現状のウェブではちょっと怖いなあと思ったりする。 でも現状その「怖いなぁ」というひとのほうが多くなりつつありませんか? それでなくても「なにかを思ったら、どんどん書いてみよう!」ということが推奨される雰囲気の中で。 数撃ちゃ当たるじゃないですが、そういう姿勢から新しいつながりができる可能性も確かにあるわけで、無下に否定的なニュアンスにすることもないのですけど。 あと、「話
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