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ブックマーク / dergeist.hatenablog.com (3)

  • 「啓典宗教における神の絶対性について」はヤバい - 長椅子と本棚

    啓典宗教における神の絶対性について とにかく致命的に粗いです。論理的な飛躍も随所に見られます。ちょっと勉強した大学1年生が作ったメモ、といったところだと思います。最初見たときツッコミ入れるまでもないだろと思ってスルーしたのですが、ブコメで称賛されてるのを見て危機感を覚えたのと、常日頃、自分が適当なことを書いてしまった時は誰かに訂正してほしいと思っているので、ちょっとだけツッコミを入れておきます。 啓典宗教における神の絶対性について まず、この表題が間違っています。当に言いたいことはこれじゃないはず。これについてはあとからまた問題にします。 ユダヤ教ならびにその影響を受けた宗教(キリスト教、イスラム教)を啓典宗教と言います。 「啓典宗教」? いきなり怪しい。この言葉は使わないほうが良いと思います。理由の第一は、これがイスラム教の術語で、あまりニュートラルな言葉ではないということです。「啓典

    「啓典宗教における神の絶対性について」はヤバい - 長椅子と本棚
    NOV1975
    NOV1975 2013/05/17
    そもそも元の記事がぱっと見スルーするたぐいのものなのになんで伸びてたのか。
  • 起承転結という概念には中身がない - 長椅子と本棚2

    文章構造として「起承転結」がいいのかダメなのか、という論争がある。しかし、起承転結という概念は、そもそもそのような論争に値しない。なぜなら、論者に依って、「起承転結」という言葉に込めている意味がバラバラだからだ。 このことは、「起承転結」でぐぐって上位にくる結果を少しながめてみるだけでもわかる。たとえば、以下のnanapiの記事。 起承転結をはっきりさせて文章を書く方法 | nanapi ここでは、 起=「書く文章のテーマ(小論文や感想文)に対しての自分の意見」 承=「テーマとなっている物に対しての自分なりの解釈や要約のようなもの」 転=「自分が『承』で書いたことに対しての自分がどう思ったのか、そしてそう思った理由を詳しく」 結=「『起』で述べた自分の感想に少し戻り、「『承』、『転』でこう思ったことにより自分は『起』のように思った。」といった風にまとめる」 という感じでまとめられている。

    起承転結という概念には中身がない - 長椅子と本棚2
    NOV1975
    NOV1975 2013/05/02
    「お世話になっております。昨日稼働開始のシステムは順調に稼働しておりますが、たった今障害がおきました。しかしご安心ください。すぐにリランして解消しました。」←起承転結なビジネスメール?
  • 「遺族に実名公表を拒否する権利はない」というマスコミの主張は正しい - 長椅子と本棚2

    タイトルの真意は、「遺族に実名公表を拒否する権利があるか否か」という問題と、「報道機関は情報を集めるためにどんな手段に訴えてもよいのか」という問題とは全く別の問題だ、ということである。この二つを区別しないと、おかしなことになる。 何も私は一方的にマスコミを擁護しようとするのではない。しかしながら、上のことが理解されなければ、正しくマスコミを非難することができなくなる。それは結局、マスコミが犯した誤りを曖昧にし、言い逃れを可能にすることにつながってしまう。 何の話をしているかというと、以下の二つの記事の話である。 (cache) 朝日新聞デジタル:犠牲者の氏名伝える意義は 朝日新聞「報道と人権委員会」 - ニュース 傲慢の見のような記事 - 新小児科医のつぶやき 二番目の、朝日新聞のコメントを非難するid:Yosyan氏の記事の中の、以下の箇所は誤解に基づいているように思う。 宮川委員 遺

    「遺族に実名公表を拒否する権利はない」というマスコミの主張は正しい - 長椅子と本棚2
    NOV1975
    NOV1975 2013/03/07
    その理屈を適用すると本人から許可が取れないあらゆることは報道すべきでないな。
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