水星逆行は、5月4日まで続きますが、実は4月は水星逆行だけでなく、他の惑星も諸々逆行しているとんでもない時期であります。 水星逆行(2017年4月11日~2017年5月4日) 木星逆行(2017年2月7日~2017年6月9日) 土星逆行(2017年4月7日~2017年8月25日) 冥王星逆行(2017年4月21日~2017年9月29日)
![自分の中心(太陽)に立ち返る](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/1fbba2146612baf046f322f383aea8f281e93d15/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fblogger.googleusercontent.com%2Fimg%2Fb%2FR29vZ2xl%2FAVvXsEjkoqXYo8LjfeCeKuLdPIlePh7KpJoehyxnFAXHPLgw6xDiiRpGFDkvGlYkLlJYkNBQnwz6DrOE8tbMecutgd5VET1iSXQAo_IgfmMyuGHfvWOf2JvBFOxorpqU388NHcSAlU_8RwpV0lqI%2Fw1200-h630-p-k-no-nu%2F%2525E9%252587%25258E%2525E8%25258F%25259C%2525E3%252583%25258F%2525E3%252583%2525B3%2525E3%252583%252590%2525E3%252583%2525BC%2525E3%252582%2525B0.jpg)
11月29日は月に一度の自然食レストラン「恵みいただきます」の日でした。当日は雨だったのにも関わらず、218膳のお食事を提供することが出来ました。皆さんに大変満足していただけて、中にはお蕎麦を食べて涙して下さったお客さんもいました。こんなふうに感動がお客さまに伝わっていく時間と空間を毎月提供出来ることは本当に嬉しいことです。 多くのお客様に喜んでいただいた「恵みいただきます」ですが、今回もたくさんの準備を重ねて当日を迎えました。ここではそんな話を少し書いておきたいと思います。 試作の段階で、お蕎麦がいまいちぱっとしないということがありました。その時、収穫隊のあきちゃんから外のお蕎麦屋さんに食べにいこうという提案がありました。そして、キッチンスタッフを中心に10名で食べに行きました。木の花ファミリーの生活は自給自足を基本としているため、外食をすることはほとんどなく、特別な体験です。それもこれ
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 一昨日の夜、僕は「僕はこの世界について全然知らない」という記事を書いたのですが、その記事に対して以下のコメントをいただきました。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 安心感という言葉や抽象的な言葉を使い過ぎていてかえってその根底にある不安感や焦燥感が浮き彫りになってしまっていますよ。これだけブログで生活の中の安心感という言葉を使う人を初めて見ました。あなたは恐らく不安で空虚でなんとか生きようと未だもがいているのでしょう。もっと日常のありのままを書いてみてください。宇宙が天が視点がなど抽象的な言葉を使わず日常的なありのままを表現してください。このままではあなたは奴隷のままですよ。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 このコメントは公開せずに削除させていただいたのですが、せっかくだから思うところを書いてみようと思います
☆彡 ☆彡 ☆彡 りょうちんはこのエピソードをこだわりの強さが出た例として紹介していますが、なぜそうなったかというと流れに沿っていなかったからだと思うのです。 「流れ」というのは抽象的な言葉で目に見えないものですが、確かにこの世界には「流れ」というものがあり、みんな意識的もしくは無意識的にそれを感じて生きています。「流れ」に沿っていると気持ちよく過ごせますが、「流れ」が悪いとストレスを感じるものです。 「流れ」は様々なものから生み出されています。上記の例で言えば、みんなの意識や関心が流れを生み出していて、りょうちんの「強い想い」がそれとずれていたのでしょう。もしみんなもそこに強い関心を持っていたらりょうちんの特性は探求心の強さとして生かされていたはずです。個人が真の意味で生かされるのは流れの中であり、全体性は常に流れの中にあるのです。流れに沿っている時、人は全体性の中にあり、その時、人は自
当時(2014年5月)の僕がやる気を失っていたのは、特定のもの(結果)を求めてそれが手に入らなかったから。言ってしまえばただそれだけです。そして、僕はまなこいを機会にしてやる気を出そうと決意します。そして積極的に行動しましたが、「変わろう」と思って行動しても僕は変わりませんでした。2014年の終わり、そんな僕に転機が訪れました。以下、「天の物語を生きる~1年の振り返りとして」から文章を引用します。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 僕はこれまでずっと自分の物語を生きて来ました。 それは「世界が僕を変える」や「世界と一緒に変化を楽しむ」に書いた英雄物語だったり、「僕といさどんと木の花ファミリー」に書いた「虐げられた状況から逆転する物語」だったりします。その自覚はずっとあって、それを意識的に変えようと努力を重ねてきました。ですが、それらの努力は功を奏しませんでした。僕は変わりませんでした。 そんな中、今年の9
アダム・スミスが世界を自由貿易に駆り立てて以降、拡大を続けてきたグローバル市場経済が、今、トランプ大統領の登場で新たな局面を迎えている。アメリカ発の保護主義が、世界経済の血流を大きく変えるのではないかと懸念の声が高まっているのだ。多国間貿易の流れに逆行するかのような国境税の検討。「ドル高」に繋がる減税やインフラ投資を掲げる一方、「ドル安」を目指すかのような通貨安国家への批判など、かつてない“矛盾”を抱えた未知の経済が動き出そうとしている。「実行すれば世界経済は未曽有の不確実性を抱える」という経済学者がいる一方、「グローバル資本主義はもはや限界。トランプの経済は世界にとってプラスだ」という説もあり、その効果をめぐって論争も勃発。果たしてトランプ経済は、行き詰った世界経済の救世主となるのか?それとも、さらなる混迷と停滞を引き起こすのか? 世界や日本への影響について考えていく。 こんな内容の番組
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 3月21日、カフェ&ショップ・ロータスランドがオープンしました(^-^) オープンに際していさどんはこんなふうに言っていました。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 3連休翌日の平日、儲けを考えていたらこんな日にオープンしないよ。人智ではありえない。でも宇宙的に見たらこの日が相応しい日。この日しかありえない。これは我々が宇宙の流れに沿って生きている証。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 3月20日の19時28分56秒に太陽は春分点を通過しました。春分は宇宙の元旦です。そのことについて天下泰平ブログ「宇宙元旦の春分と宇宙の理の時代」では以下のように書かれています。 ☆彡 ☆彡 ☆彡
カフェ&ショップ・ロータスランドがオープンしてから1週間が経ちました。ロータスランドのオープンは僕たちの暮らしに多くの変化をもたらしましたが、その変化にも慣れてきて日常となってきています。こんなふうに新しい動きと共に僕らの暮らしは変化を続けていくのでしょう。 ところで僕たちは自分たちの暮らしの指針として木の花ファミリー憲章を設けていますが、生活・プライバシーにはこんな文章が掲載されています。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 一般的に、生計を立てるための職業と家事労働は明確に区別されています。しかし、私たちの暮らしにおいては、こうした垣根がありません。たとえば、食事づくりは家族のための営みであると同時に、訪問客に食事を提供し、収入を得る手段でもあります。また、農業は自らの食糧を生産する営みであると同時に、農産物の販売を通して利益を上げる方法でもあります。NPOやNGO等の非営利活動であれ、子育てであれ、私
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 3年前の11月に書いた「僕といさどんと木の花ファミリー」で紹介しているエピソードは、自分の納得を超えることを受けとる体験でした。それまで自分の納得の元に生きてきた僕にとってそれは大きな出来事となりました。その体験について僕はこんなふうに振り返っています。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 もし僕が自分の正当性を主張したら、 (世間の)多くの人は僕の言葉に耳を傾けたのではないかと思います。 なぜなら表面で起きている出来事だけを見ていたら、僕は被害者にも見えるので。 そして、僕はみんなに正しいと認めて貰います。 でも、その先に何があるのでしょうか? 優越感に伴う自己主張の心が育ち、 それは新たなる対立を生み出すのではないでしょうか? 虐げられた状態から逆転し見返す。 僕の無意識はこんな物語を好んでい
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 農事組合法人木の花ファミリーの法人税申告期限は2月28日です。締め切り期限を目前にして忙しい毎日を送り疲れがピークに達しています。その影響からか思考が自分の大変さをアピールする方向に向かいがちになっています。 アピールする心は他人(世界)と自分を切り離すことで生まれます。関心が自分ばかりに向うことで世界との間に距離が生まれ、それを埋め合わすように他人(世界)に対してアピールをしたくなるのです。(「だからひっくり返ることが大切」参照) 今の社会ではテレビCMをはじめ様々なアピールで溢れかえっていますが、それは多くの人々の関心が自分ばかりに向いている証です。自分に関心が向いているので、人と接する時、繋がり合おうとするのではなく、自分を受け入れてもらおうとするのです。 今までみんなが自
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 例えばどんな感情が沸いてきたとしてもその感情から距離を置いておくこと。落ち込んだり悲しんだりというネガティブな感情ばかりでなく、喜んだり楽しんだりというポジティブな感情からも距離をおいておく。すべてから自由になりただただ湧いてきた感情を冷静に眺め楽しむこと。そこの価値判断は必要なくて、ただ自由であること。 こんなふうにしていると感情はすぐに変化していきます。どんな感情が沸いたとしても次の瞬間には別のものになっていくわけで、それほど気にすることはないのです。 感情はその瞬間の自分を表している。 ただそれだけです。 忙しい時に頼まれごとや電話が続き、自分の仕事に集中できない時、それは自分の心がそういう流れを生み出しているということ。 僕の心が仕事に集中する準備が整っていないのです。
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 心が変わればすべてが変わる 心が変わればすべてが変わる。 木の花ファミリーではよくそんな言葉が使われています。農業革命、医療革命、経済革命と様々な革命を発信していますが、それらはすべて精神革命であり心が変わることの大切さを伝えています。 ところで現代科学の世界では「心が物質を生み出している」という推察も生まれています。例えば、「自らの意志で時代を表現する」でも紹介している記事では以下のような記述があります。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 量子論の世界では、最も基本的な思考原理である矛盾律(AがB、かつ非Bであることはない)が通用しない状態である「量子の重ね合わせ」が長らく世界中の科学者を悩ませてきた。「二重スリット実験」では、2つのスリット(細長い穴)を通った電子が壁に衝突して作る痕跡をもと
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 1週間ぐらい前かな?小学校2年生のれいくんとお風呂場で以下のような会話をしました。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 れいくん : なかのん、木の花祭りで鬼ら? なかのん : そうだよ。れいくんも鬼ら? れいくん : うん。 なかのん : 鬼ってどんな存在かな? れいくん : みんなの間違えを正す存在。 なかのん : そうだね。みんなの間違えを正すからにもまずは自分を正さなければね。 れいくん : うん。 なかのん : 鬼の心を育むことが大切だよ。だから、忘れ物などしないようにしようね。 れいくん : うん。鬼になる。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 こんな会話を子どもとすると嬉しくなってこんなふうにブログで紹介したくなります。ですが、お風呂に出た後のれいくんの様子は相変わらずだらしのない態度で、いろいろな人
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 一昨日放映されたクローズアップ現代「幸福を探して 人類250万年の旅」を観て、『サピエンス全史』の存在とその著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏の存在を知りました。そして、いくつかの書評と著者インタビューを読んでみました。それがとても面白くいろいろな考えが浮かんできました。 僕の理解だとハラリ氏の考えを要約すると以下のようになります。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 現生人類ホモ・サピエンスが他の競合種を圧倒し、現在の繁栄に至った理由は、「虚構(フィクション)を信じる力」にあります。約7万年前の認知革命により、ホモ・サピエンスは「虚構」を使う力を得ました。「気を付けろ!ライオンだ」と言える人類種は多くいましたが、ホモ・サピエンスはこの時「ライオンはわが部族の守護霊だ」という能力を獲得したのです。このよ
木の花ファミリー金庫番のブログ。木の花ファミリーの暮らし(経済)から世界と自分を眺め日々の学びを綴っています。 木の花ファミリーでは9月10日に稲刈り神事が行われ、13日に新米をみんなで食しました。人は自然の恵み、お米という命をいただき自分の命を次へと繋げていきます。それは自然の大いなるサイクルの一部となることであり、そこに意識を向けることで自分の心は大いなる循環へと開かれ自然と一つになっていくのです。 人は自然や他者に生かされているのです。 木の花ファミリーではそのような心を大切に育んでいます。 それではそのメンバーになるとはどういうことでしょうか? 木の花ファミリーメンバーになるということは自我(エゴ)を超える道を歩むことです。今、多くの人は自我の赴くままに暮らしているので、自我を意識することはあまりありません。ですが自我を「超える」と決めることにより、その人の自我は浮き彫りになります
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