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ブックマーク / www.10plus1.jp (4)

  • 東京駅──再生と復元の美学

    復原された東京駅を実際に見て 藤森──まさかこういう日が来るとは思ってなかったですよ。感動しました。とにかく壊されるのをい止めるのに精一杯で力尽きちゃっていて。驚いたのは、昔は結構雑然とした駅周辺と背後の光景だったのに、周りにボンボン新しいビルができていたことです。実はあれがかえって東京駅にとって良かったと思いました。みんなが辰野金吾(1854〜1919年)の横綱土俵入りを迎える観客のように見えました。三菱地所は無色の灰色建築をつくっていますので、おかげで邪魔にならなかった。あの周りの空間は100%ひとつの美学、三菱地所スタイルで管理されたオフィスビルで囲まれていてすごいですね。あそこに個性を主張したがる建築家が何か建ていたら相当違っていたと思いますよ。 清水──今までより周りがすっきりしたので、こんなに長い建物だったのかと驚きました。超高層が横になっているようなスケール感ですね。 藤森

    東京駅──再生と復元の美学
  • 「拡張現実の時代」におけるプロシューマー論の射程──宇野常寛+濱野智史『希望論──2010年代の文化と社会』

    東日大震災の発生から当分の間、この未曾有の災禍がもたらす日社会の構造転換に、人々の不安と期待が集まっていた。しかし、発災から1年が過ぎたいま、むしろ社会の「変わらなさ」のほうが一段ときわだって見えることは、ここで多言を要しないであろう。僕たちは日々、日社会の「変わらなさ」に辟易しているが、ひとたび視角を変えれば、それは微かな希望にも見える。 宇野常寛氏と濱野智史氏は東日大震災を、ポスト戦後日社会におけるダメ押し的な「でかい一発」と捉える。震災によって初めてもたらされた諸現象よりも、むしろ震災によって露呈され、浮き彫りになってきた事柄に目を向けることで、緩効的な「希望」の処方箋を提示しようというのが書の企図である★1。 そこで、書の随所で参照されているのが、先立って宇野氏の単著『リトル・ピープルの時代』で提起された「拡張現実の時代」というテーゼである★2。これは社会学者の見田宗

    「拡張現実の時代」におけるプロシューマー論の射程──宇野常寛+濱野智史『希望論──2010年代の文化と社会』
  • 自己組織化は設計可能か──スティグマジーの可能性

    今回筆者が編集部から依頼されたテーマは、「きたるべき秩序とはなにか」というものだ。その論考に入る前に、自己紹介もかねて、稿を執筆するに至った背景や経緯について簡単に記しておきたい。 昨年から筆者は、さまざまな場所でウェブ上の新しい「秩序」に関する論考を発表する機会に恵まれてきたが★1、そこでキーワードにしてきたのが「生態系」や「生成力」といったある種の生命論的・生態学的なメタファーであった。インターネットの大衆的普及からはや10年以上が経過したが、そこでは種々さまざまなコミュニティやそれを支えるアーキテクチャ(人工構造物)が日々発生・成長・淘汰を繰り返しており、その全容を見渡すことは極めて難しくなっている。筆者はまずその現象に切り込むための解読格子として、「生態系」をはじめとする生命論的なメタファーを採用したのである。 ■ しかし、ただちに注釈しておかねばならないのは、こうした生命系のメ

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  • ニュータウンと幻想 - 10+1 web site|テンプラスワン・ウェブサイト|

    ニュータウンの現在 「ニュータウン世代の新言語」というテーマで原稿の依頼をいただいたのだが、おそらく僕(1981年生まれ)の同世代では、ニュータウンと言っても具体的なイメージを持てないという人も多いだろう。簡単に個人史を語っておくと、僕は、幼稚園から小学校卒業にかけての約10年間を京都のあるニュータウンで過ごした。とはいえ、1980年代半ばから1990年代前半にかけてのその時期においては、ニュータウンにはすでにシンボリックな意味合い──先端的なアメリカン・ウェイ・オブ・ライフの象徴というような──は乏しく、ただ、収入や親世代の年齢の近いひとたちが集まるばかりの均質的な空間になっていたように思う。その均質さは、僕を含めたクラスの子どもたちの間にどこか神経症的な空気を生み出していて、一種独特の思い出もあるのだが、今それについて詳しく書くのは止めておこう。 現在のニュータウンということで言えば、

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