歌人の与謝野晶子(よさの・あきこ、1878~1942)が自作の148首をしたためた屛風(びょうぶ)が高知県で見つかった。晶子の自筆屛風は20点以上確認されているが、最後の作品とみられる。明治~昭和の代表作を自選した集大成的な内容で貴重という。18日から晶子のふるさと、堺市で公開される。 堺市によると、屛風は高さ175・4センチ、幅91・5センチ。右隻(せき)に71首、左隻に77首の計148首が、晶子の特徴ある筆跡でつづられている。 晶子が亡くなる2年前に書いたもので、1901(明治34)年に出した第1歌集「みだれ髪」から昭和初期の「与謝野晶子全集」まで、ほぼすべての歌集から代表作が選ばれている点が特徴だ。 故郷の堺をうたった「海こひし潮の遠鳴りかぞへつゝ少女となりし父母の家」(05年の詩歌集「恋衣」収録)もつづられている。 堺市博物館の森下明穂(あきほ)学芸員は「後年の晶子は明治期の自身の
歌集「みだれ髪」など、斬新で情熱的な作品で知られた歌人与謝野晶子(1878~1942年)。生誕140年を迎える今年、注目を集めているのが出身地・堺市にある「与謝野晶子記念館」だ。文学や教育など幅広い分野で活躍した晶子の魅力を発信している。 晶子は和菓子商の三女として生まれ、多感な少女時代を堺で過ごした。歌の師で夫となる与謝野鉄幹と出会い、22歳で上京した。堺市博物館副理事の赤沢明さん(59)は「当時の古い因習を打ち破り、12人の子供を産みながらも芸術を極めた。特に女性に人気があります」と話す。 与謝野晶子記念館は平成27年3月、同市ゆかりの千利休と晶子をテーマにした観光拠点施設「さかい利晶の杜」内にオープン。短歌や評論をはじめ、源氏物語新訳などの古典研究に取り組み、文化学院創設にも関わった晶子の軌跡をテーマごとに展示する。 一流作家が手掛けた装丁で知られる晶子の本の表紙などを集めた書棚は壮
兄の秀太郎の帰省を待ちわびる歌 歌人の与謝野晶子(1878~1942年)が19歳だった1898(明治31)年に詠んだ未発表の短歌が見つかったと、出身地の堺市が発表した。東京にいる兄、鳳秀太郎(ほう・ひでたろう)の妻に宛てた手紙に、秀太郎の帰省を待ちわびる歌が記されていた。直筆では最も古いという。研究者は「浪漫主義の作品を生んだ歌人晶子の誕生前夜を考える上で重要な資料だ」としている。 市によると、手紙の日付や切手の種類などから、最初の歌集「みだれ髪」(1901年)発表の3年前の98年7月11日に書かれたとみられる。
堺の「与謝野晶子記念館」、27日から 堺市は24日、同市出身の歌人、与謝野晶子(1878~1942年)の昭和初期の様子を撮影した未公開の動画を27日から「与謝野晶子記念館」(堺市堺区宿院町西2丁)で公開すると発表した。家族らと福島県内を旅行する様子などが記録されており、2014年に与謝野家から寄託された8ミリフィルムのうち、未公開だった一部について、生誕140年を記念して市が編集した。 新たに公開される動画は2分16秒で、1936年ごろに撮影された計約14分間の一部。和装の晶子が東京都杉並区にあった自宅玄関から出て車に乗り込み旅行に出発する場面で始まり、都内とみられる場所で末娘の藤子さんと合流。水で喉を潤し、口元をぬぐったり、福島県の磐梯山周辺を傘をさして散策し、会津地方で白虎隊の墓を訪ねたりする姿などを収めている。撮影者は不明。
堺出身の歌人、与謝野晶子らが活躍するアニメとコラボしたスタンプラリーが人気を集めている堺市堺区の「さかい利晶の杜」で4日、晶子の素顔を紹介するミニ講演会が開かれた=写真。 スタンプラリーは同市内で開催され、さかい利晶の杜がゴール。アニメは「文豪ストレイドッグス」で、晶子のほか、太宰治、中島敦ら近代の文豪がキャラクター化され、若者らがスタンプラリーに熱中。講演会は若い世代に晶子の魅力を伝えるのがねらいで、女子中高生や親子連れらが参加した。 講演会はこの日4回開催。与謝野晶子倶楽部の太田登会長(天理大学名誉教授)が講師となり、晶子が幼少の頃は男子として育てられたことや髪の流れをかたどった第一歌集「みだれ髪」の表紙に「LOVE」の文字が隠されていることなどを紹介。参加者は興味深そうに聞き入っていた。 ミニ講演会は21、25日と4月1日にも開催。問い合わせは、さかい利晶の杜(電)072・260・4
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