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ブックマーク / ship-ahoy.hatenadiary.jp (4)

  • ■ - しっぷ・あほうい!

    祖母の家 家の鏡台には、資生堂のドルックスのクリームや乳液やらがところせましと並んでいた。鼻を掠めるそれらの入り混じった重い粘性の匂い。山名文夫の曲線が優美な唐草模様の意匠は、だから幼いころからなじみがあった。父方の祖母はおしゃれだった。色彩感覚にすぐれていて、じぶんに似合う色を知っていた。白髪になってからは、よく薄紫やエメラルド・グリーンのニットを着ていて、とてもよく似合っていた。洋服や化粧品、買い物、美つまり贅沢を好み、池袋の東武百貨店を根城にして開店から閉店までそこにいた。池袋の東武というのは、住んでいたのが西武池袋沿線の学園都市の駅だったことと、北関東出身の人だったから東武という路線になじみがあったのだと思う。母によると、百貨店でその日出会った人とお茶を飲んだりして、日がなウィンドーショッピングをしていたそうだ。 宇都宮の郊外のお金持ちの末っ子として、庭にカナリアのいる鳥籠をかけ

    ■ - しっぷ・あほうい!
    Nean
    Nean 2019/06/15
    こういう文章、なんとなく好き。
  • 中村三千夫さんの小さな冊子(つづき) - しっぷ・あほうい!

    国立国会図書館にて、中村三千夫さんの追悼文を閲覧してきた。詩人の安東次男による文が心のこもった文章でひどく感動する。とりわけ最後の一文。 先ごろ、中村三千夫が急逝した。中村三千夫といっても、一般にはなじみのない名まえだろうが、東京渋谷の宮益坂上に、ちいさな店を構える古書店の主人である。[...]彼の訃報に接したとき、私は、某々詩人が死んだと知らされたことよりも、衝撃を受けた。生前さして深いつき合いがあったわけではないが、中村三千夫の名まえは、これまた数年まえに故人となった伊達得夫の名まえと共に、戦後詩の歩みの中で、忘れ得ない印象を私にとどめていた。伝えるところによると、故人は一日に一度古書あさりに出歩かなければ気がすまないほど、根っからの好きだった。また、良書があると聞けば、その多少にかかわらず、地方にもとんでいった。とりわけ詩書を愛し、どんな無名詩人の詩集もおろそかにはしなかった。彼の

    中村三千夫さんの小さな冊子(つづき) - しっぷ・あほうい!
  • 中村三千夫さんの小さな冊子 - しっぷ・あほうい!

    この夏はなぜか『瀧口修造の詩的実験 1927〜1937』(思潮社)に挿み込まれたレモン・イエローの添え書きのことがずっと気に掛かっていた。頭のすみに貼りついて、いつまでもそのレモン・イエローがちらちらと掠める。そこには「ボン書店」「ユリイカの伊達得夫」という伝説的な名前とともに「中村書店の中村三千夫」という名前があった。 「日の古屋メールマガジン」のバックナンバーで、亡くなられた田村治芳さんが「渋谷宮益坂上の中村書店に行ってみなさい」(http://www.kosho.ne.jp/essay/magazine04.html)という文章を書いているのを見つけた。中村三千夫さんの息子・正彦さんが、三十三回忌に49ページの小さな冊子をつくった、とある。家族用に限定七部ということだけれども、田村さんがその目次を挙げてくださっているので、わたしのように遅れてきた者であっても、初出にあたることがで

    中村三千夫さんの小さな冊子 - しっぷ・あほうい!
  • 橋爪節也編著『大大阪イメージ 増殖するマンモス/モダン都市の幻像』  - しっぷ・あほうい!

    橋爪節也編著『大大阪イメージ 増殖するマンモス/モダン都市の幻像』(創元社、2007年)*1 気になる「大大阪」についての、ということで前々から楽しみにしていた一冊。 かなり様々な角度から「大大阪」にアプローチしているので、興味のある箇所からぽつぽつ拾い読みする。 「大大阪」について、はじめて興味を持ったきっかけは、今は無き神保町の書肆アクセスで買った『大阪人』(2005年5月号/モダンガールの時代)の記事「フラッシュバック 大大阪の時代」を読んだことであった。1925年(大正十四年)から東京に首位を明け渡す1932年(昭和七年)というわずか七年間という短いあいだ、大阪が面積、人口ともに東京を凌駕して「世界第六位」の都市となった時代があったという。日ではのちにプラトン社の雑誌『苦楽』や『女性』を廃刊に追い込むことになる講談社の大衆雑誌『キング』が創刊され、パリでは琥珀色の女神・ジョセフ

    橋爪節也編著『大大阪イメージ 増殖するマンモス/モダン都市の幻像』  - しっぷ・あほうい!
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