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ブックマーク / takase.hatenablog.jp (4)

  • 北大生は違ったフィクションに生きたかった9日17時更新 - 高世仁のジャーナルな日々

    きのうはせわしかった。 早朝5時半に枕元の携帯が鳴った。床についたのが3時過ぎなので眠い!もうろうとして電話に出ると、ある民放局の私の知らない記者だった。ブログを見たという。 「常岡さんと連絡がつかないんですが」。 そりゃそうだ。スマホ、携帯合わせて8台を押収されたのだから。 常岡さんの新しい携帯電話番号を記者に教えて切ると、すぐ別の二つのテレビ局から電話が来た。朝後、通信社と新聞社から電話。みな常岡さんへの取材希望だ。 10時すぎ常岡さんに会う。 朝からすでに何回かインタビュー取材されたという。 日テレで、常岡さんのインタビュー取材に付き添う。日テレの取材が終わって、外に出ると、二つのテレビクルーが待ち構えている。 テレビのインタビュー中も、常岡さんの携帯電話が引っ切り無しに鳴る。常岡さんがこんなにマスコミに取材されるのは、2010年、アフガンで誘拐され半年後に解放されたとき以来だ。

    北大生は違ったフィクションに生きたかった9日17時更新 - 高世仁のジャーナルな日々
    Nean
    Nean 2014/10/10
  • 常岡浩介さん宅にガサ入れ!7日14時更新 - 高世仁のジャーナルな日々

    6日の午後、ジャーナリスト常岡浩介さんの自宅に、警視庁のガサ入れがあった。 夕方、携帯電話もメールもつながらないので、おかしいなと思い、自宅に電話を入れると、同居人が「いま、警察が来ています」と小声でいう。なんと、ガサ入れの最中だった。 午後4時ごろ、警察官7人(警視庁公安部外事3課)が自宅にやってきて、任意の事情聴取を要求したが、常岡さんはこれを拒否。すると彼らは捜索令状を見せて家探しし、夜8時半ごろ、常岡さんの取材道具をごっそり持って行ったという。 押収されたものは、 ハードディスク3台やSDカードからPC3台、スマホと携帯計8台、ビデオカメラ2台、デジカメ2台、それに名刺、テレビ番組の台などまで多数。 記録媒体のデータが一番の目的か。 旅券と現金はいったん押収し、あらためたうえで返却したそうだ。 常岡さんが、カメラなどは取材に必要なものだが、いつ戻ってくるのかと聞くと、「捜査の進展

    Nean
    Nean 2014/10/07
  • 増え続ける震災関連自殺者 - 高世仁のジャーナルな日々

    太田信吾監督作品『わたしたちに許された特別な時間の終わり』を観た。 太田さんはうちの会社で番組制作を手伝ってもらうなどお付き合いがあり、大阪のあいりん地区を描いた映画『解放区』では新聞ネタにもなって心配したが、何とか解決したようだ。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20140214 で、『わたしたち・・』は、『解放区』より前の、彼の第一作映画。 《2010年12月、かけ出しの映画監督の太田は、ひとりの友人を自殺で亡くした。彼の名は増田壮太。かねてより壮太とバンド仲間の冨永蔵人を撮影していた太田にとって、そのショックは大きかった。10代のバンドコンテストで優勝するほど音楽の才能に恵まれ「ミュージシャンになる」という強い夢を持っていた壮太がなぜ―――。一方、壮太に誘われバンドを組んでいたものの、何がやりたいのか自分でも分かっていなかった蔵人は、徐々に壮太と袂を分かち

    増え続ける震災関連自殺者 - 高世仁のジャーナルな日々
  • 山内明美さんに聞く「東北のこれから」 - 高世仁のジャーナルな日々

    きのうの朝日新聞朝刊の「オピニオン」欄は、宮城大研究員・山内明美さんに聞く「東北のこれから」だった。 とてもラディカル(根底的)で適切な問題提起をしていると思った。震災の「復興」とは単に元に戻すという単純なことではないことを現場から直言している。いい記事だったので、ちょっと長いが紹介したい。 ■縮みゆくふるさと 元々ある地域の力生かした自立へ 東北の未来に向け、何を考え、どう取り組んでいくか。震災から1年余り、まだまだわからないことだらけだ。宮城県南三陸町の農家で生まれ育ち、東京で活動していた一人の若い研究者が、震災後に町に戻り、この難題に向き合っている。宮城大学の特任調査研究員として南三陸復興ステーションで活動する山内明美さんに聞いた。 ――ふるさとに戻って今、何を考えていますか。 「震災後、この町はどんどん小さくなっています。人の流出が止まらない。震災前の1万7千人から、1万人ぐらいに

    Nean
    Nean 2013/10/26
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