安政4(1857)年に建造された、日本初の洋式商用帆船。当時の箱館奉行・堀利熙の要請で、高田屋嘉兵衛のもとで船大工として働いていた続豊治が製作。 北海道最初の造船所を造った高田屋嘉兵衛のもとで、船大工として働いていた続豊治(つづきとよじ)は、高田屋が没落するとやむを得ず仏壇製作大工となった。そんな彼のもとに、箱館奉行の堀利熙(ほりとしひろ)より要請があり、安政4(1857)年、西洋型帆船「箱館丸」が建造された。初めて日本人が建造した商船で、この時、豊治はすでに60歳であった。 重さ56トンの箱館丸は2本マストで、長さが30メートルもあった。堀が江戸へ戻る際に、豊治は息子の福士成豊と試船。その際に船の安全性とスピードが実証された。 豊治の造った西洋帆船の2隻目は「亀田丸」といい、この船は日本最初の出貿易(見本市)船として知られている。五稜郭を設計したことで有名な武田斐三郎(たけだあやさぶろう
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く