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増田と病に関するNettouochiのブックマーク (307)

  • お母さんが3度目の癌になった

    離れた実家に暮らすお母さんが、癌になったらしい。3回目。 1度目は8年くらいまえに大腸がん。親が死ぬかもって初めて思ってすごく悲しかった。 手術が成功して、抗癌剤治療も終わって?また元気になった。 それ以降、親はいつ死ぬかわからないと思って、たくさん帰ったり、たくさん写真を撮ったり、喜ぶことを出来る限りしてみた。 2年前にまた肺がんになった。リンパにも転移していた。今度は場所的に手術ができないかもとか言っていた気がするけど、手術か抗癌剤治療かで、また完治した。 この時私は結婚したばかりで、やらないつもりだった結婚式を母の希望でこじんまりやることにした。 (しかし結果、結婚式がきっかけで離婚したのでやってないw) 自分が離婚するときはすごくお母さんに心配もかけて、おとなになって初めて喧嘩もして、お母さんから「うまく言えなくてごめんね」ってメールが来たのを覚えてる。 それでもまた前向きに、元気

    お母さんが3度目の癌になった
  • どうもイボ痔になったぽい

    痔とうんこ漏らすのを比べると、はてな的にはどっちが重大事なのかなあ。 人的にはけっこうへこんでる。 なお、まだ漏らしたことはない。 追記。 状態は出口からなんか見えるくらいで、飛び出してきてはいない。痛くもないけど違和感は無視できないってとこかな。 座りすぎなのと、最近お腹の具合が良くなくてトイレにこもる時間が長かったせいかなーという自覚はある。 ブコメ、心配してくれてありがとう。土曜に病院行ってくる。。 もうイボ痔の空耳は気軽に歌えないな… あとトラバの増田へ。実はうちも家族が大腸ガンで手術してる。腹腔鏡手術で済んだけど、当時は大騒ぎだったよ。予後が良い方じゃない部位だからね。 トラバ増田はもしかしてストマなのか。気分を悪くさせたならすまなかった。 個人的には重大じゃないけど無視もできなかったので、増田に愚痴をこぼしただけなんだ。 何もできないけど、せめて増田自身が命のあることに意味を

    どうもイボ痔になったぽい
  • 母が乳ガンだそうだ

    検査でさっきわかった。もちろん手術する。治るかはわからない。多分人が一番不安だろう。 俺もショックだった。だが同時に覚悟もした。 正直に白状すると、俺は努力が嫌いで、今までちゃらんぽらんに生きてきた。散々現実逃避して、いろんなことから逃げてきた。働くのが嫌で、留年もした。にもなった。大変な心配をかけた。 だが、それももう終わりにする。 今の俺にできることは、己のスキルを高めて、金を稼げるようになり、母を安心させてあげることだ。 明日生きられるかもわからなくなった母のために、明日を存分に生きるようにしよう。 それにのみ集中すればいい。 やろう。

    母が乳ガンだそうだ
  • 風邪が治らない

    一週間経っても風邪が治らない。 週の半分は会社にも行かないで寝てたのに。 もう35歳だからかな…。 40代になったらもっと治り悪くなるの? 追記 病院には行っています。 対処法などアドバイス書いてくれた方、ありがとうございます。

    風邪が治らない
  • 痔にはボラギノール

    外痔核に困っていて病院行ったら「そんなにひどくはないですねえ」と言われた。一応強めの薬出してもらったんだけど、一週間しても治らず。 「ひどくない」と言われてるのにまた行くのも恥ずかしくて、市販のボラギノールの注入軟膏を買ってみた。 市販のほかの注入軟膏は3種類試したのだけど全然効果なかったのに、なぜかボラギノールは効いた。病院でもらってきたボラギノールより強いはずの薬より効いた感じがする。 小さい頃から見てきたCMの効果か。「痔にはボラギノール」と刷り込まれているため、思い込みで効いたのかもしれない。痔にはボラギノール、ボラギノールですぞ。 ※ステマではありません。

    痔にはボラギノール
  • てんかん持っててもレーザー脱毛ちゃんと受けられた話

    ■てんかんを持っていてもレーザー脱毛はちゃんと受けられましたよ、という話。 ■これから夏だし、「てんかんだからレーザー脱毛できない」「やりたいけど危なそう」とお悩みの、 全国のどこかにはいらっしゃるであろう方のために 自分の記録をシェアします。こんな匿名日記だけど必要な方にとどいたらいいな。 ■理由 何かの拍子で「てんかんを持っているとレーザー脱毛できないらしい」ということを知った。 できないというのは語弊があって、ミュゼなどエステでは受け付けてない、ということ。 レーザー脱毛は強い光を皮膚に照射するので、 エステでは万が一の時に対応できない ということが理由なのだそうだ。 申し込んで断られて、初めて知った。でも理由としてはごもっともで納得するほかない。 これまで生きてきて、「てんかん」を生きていく上での深刻な問題だと思ったことはなかった。 就職先にもちゃんと報告しているし、免許センターと

    てんかん持っててもレーザー脱毛ちゃんと受けられた話
    Nettouochi
    Nettouochi 2017/07/10
    「きっかけはTVアニメ」ウィキペによると、1997年3月放送の『YAT安心!宇宙旅行』第1期・第25話
  • 亀頭の先に穴が開いてつぶすとリンパ液がでる

    さすがに昨日の風俗でいきなり発症はありえないよね?

    亀頭の先に穴が開いてつぶすとリンパ液がでる
  • 痔が進化している

    最初におしりが切れたのは中学生か高校生の時だった。 どちらかといえば便秘気味だったけれどほとんど1日1回出て出ない日が週に1、2日はあるかなというところだったので快便傾向を自負していたにもかかわらず。 以来、裂けたり治ったりを振り返れば10年以上も繰り返していた。 ところが先日ついに裂けているだけでは無さそうな気配に気がついてしまった。 手探りしたところ、ふちのところになんだかニキビみたいなぽっちがある。 ついに切れ痔から軽度のいぼ痔に進化を遂げたようだった。 ネットでググったらもっと酷そうな症状がいっぱい出てきた。 まだおといれで出してるときに痛いのと、ウォシュレットが沁みるのと、弱く痛がゆい感じが残るのくらいなので、ネットでググったら「お尻をあっためれば治る」らしい。 でも10代から20代にかけてこんなふうにジワジワと悪化をしていて、これから人生どうなっちゃうんだろう。 いつかどこかの

    痔が進化している
  • こんなときどこに相談すれば良いの

    PCワークが原因で軽い頸椎ヘルニアになり、痛みに耐えて仕事してるのに、仕事が原因なわけないじゃん的な反応。 この忙しいときに何勝手に体痛めて周りに迷惑かけてんの?的な雰囲気が悲しい。 もうじき50歳になるし、確かに徹夜の連続には耐えられなくなってきてるし 今の会社にしがみつくのもくやしいけれど、田舎なので転職は絶望的。 子もいるので大きな動きはできないし。は、無理なら辞めても仕方ない的なことは言ってくれるけど、 今でも経済的に厳しいのだから、会社を辞めたら立ち行かなくなる。 自分の気持ちの問題なのか?カウンセリングとかに行って今の状況を受け入れるようにするのが良いのか? 麻痺が出ているほどではないからリスクを考えて手術はしないと言われたけど、痛みが続くのも辛い。

    こんなときどこに相談すれば良いの
  • 就職活動と痔

    やっと約半年かけて就職活動を終えました 、21歳女子大生です。 就活ずっとしんどかった。 別に働きたいわけでもないのに、説明会行った。 絶対働きたくないような会社のESも滑り止めで書いた。 圧迫面接とかいうクソみたいなもんにも耐えた。 まあでもそんなことはほぼ全部の就活生が体験しているので大したことはない。 この話はネットじゃなくても、大学に行けばできる。 私が言いたいことは 「就職活動中に痔になって辛かった」 痔なんて21歳にして関係ないと思ってた。子供産んだら、母親くらいの年齢になればくらいの感覚だったのにやつはきた。 3月解禁してからとにかく説明会、ESラッシュ。 休む暇なく説明会をハシゴ、家に帰ればES書いて、郵便局深夜窓口ダッシュかつ速達貧乏。 ストレス on ストレス。 ついにスーツを着るだけで、下痢に。 何もない日は便秘に。 下痢も便秘も肛門には何もよくない。 ある日紙に血が

    就職活動と痔
  • 今までで一番痛い

    やっと退院できた。 12日間の入院は辛かった。 44年間生きてきたが、今まで経験した中で 1番痛かった。 1ヶ月前からお腹の調子が悪くて 正露丸を飲みまくってた。 20日前に、友人の誕生日を祝うために一緒に事してたけど 鈍いお腹の痛みと吐き気であまりべれず プレゼント渡して早めに帰ってきた。 その夜、痛みがひどくなり夜間病院へ・・・。 痛み止めの点滴を2時間してもらい楽になり自宅へ戻った。 その時は軽い腸炎って言われた。 次の日もまた痛みだしたので、昨日と同じ病院の午後の診療へ。 痛み止めの点滴をしてもらい帰された。 ちなみに病院ではレントゲンなどせず、触診だけで終わり。 とりあえず、痛み止めの点滴をすれば痛みがなくなるので 胃腸が疲れてるのかなと思った。 でも、次の日も痛みが・・・。 前日行った病院は午後からしかやってなかったので 馴染みのクリニックへ行った。 ここ数日痛みの話をして

    今までで一番痛い
  • 「まさか私が…」突然の発覚から3年、絶望から這い上がった私の乳癌

    40歳の節目。私は乳がんになった。 素朴だけど優しく私を愛してくれる夫と2児に恵まれ、幸せな人生を手に入れてそれなりに満足感のある日々だった。 幸せな日常を一瞬にして真っ暗な絶望に追いやった乳がんの発覚。 乳がんは罹る人も多い病気。負担はあるけど、治療なんてさほど難しくないと思っていた。 でも全然カンタンではなかった。 家族、友人、そして自分自身多くの人を深く傷つけ、心身共に疲れ果て全てを失う寸前まで追い込まれた。 判断ミスもあり、軽度とは言えない状態までいってしまった私だが、良き出会い、周りの人の支えに助けられたことは幸運だった。 手術、抗がん剤治療を行い私は今、再発の不安は抱えながらも元の幸せな生活を取り戻すことができた。 今思えば、「知らないこと」が理由で失ったものが沢山あった。 「もっと早く気づくことができれば・・・」「あの時あの治療を選択していれば・・・」「友人家族にもっと接する

    「まさか私が…」突然の発覚から3年、絶望から這い上がった私の乳癌
  • 父の癌

    一昨日の夜、22時09分、父は他界しました。最期は呼吸不全でした。苦しかっただろうに。 それは私に取っては唐突だった。 4月に父と義理の兄と三人でゴルフを行く約束をしていた朝、急に父から行くのが難しいと言われた。 胃が痛くて、眠れなかった。地元の病院で胃潰瘍と診断されていた。 その日は残念ながら、義理の兄と二人でいくことにした。 そして4月後半。仕事で鎌倉に行っていると、母からの電話がなった。 父が貧血気味で、急遽、大学病院に運ばれたとのこと。しかも最初の内視鏡で癌があると言われたらしい。 とは言え、父は71歳。癌が見つかることぐらいありうる。癌は昔と違って治る病気だ。 とりあえず、貧血もあって父は入院することになった。 そして数日後。急遽、主治医の先生に家族だけ呼ばれた。ちなみに主治医の先生は30歳の背の高いイケメン。 まずはCTの結果を見せられ、癌の状態を説明される。癌は胃から十二指腸

    父の癌
  • カンジダが慢性化してつらい

    今の会社にはいって半年くらいから発症して、そこから半年ずっと毎月生理前にカンジダになる。 はてなーは性病って思ってるかもしんないけど、カンジダは風邪とか疲労、ストレスでも発症する。免疫力が下がってるよーってことだ。 カンジダはかゆい。白くて醤油みたいな匂いのおりものが大量に出てくる。 かゆすぎて耐えられず掻きむしる。指を突っ込んでおりものを掻きだす。 セぺ、インクリアで予防している月はまだマシだ。でもセぺはともかくインクリアは高すぎてもう買えない。 仕事が忙しすぎて病院に行く暇なんかないので、エンペシドとかフェミニーナの膣錠をココカラファインとかで買っている(なんか最近amazonでも買えるようになってた)。 ゴールデンウィークは心とまんこを休める期間にしたい。

    カンジダが慢性化してつらい
  • 私はあまり優秀じゃない、と知ったこと

    道端アンジェリカが乾癬だ、とカミングアウトして話題になっている。 私も、乾癬だ。21歳頃に突如に発症、当時は症状が重く就職活動を中止した。 ありとあらゆる治療をして、25歳になって落ち着いた。 25歳頃からとある職についた。 その仕事が忙しい。乾癬は落ち着いているし、だいじょうぶかな、と思っていた。 それからは、自然治療。悪くなる時もあれば、調子が良い時もある。 悪くなっても、ひどい状態にはならないので、放っておいた。 30歳前後はもう仕事ノリノリ。 あなたは優秀ね、すごいね、頑張ってるね。頼りにしてますよ、と人に言われ続けた。 そう、私は仕事をしなければいけない人間なんです、と思っていた。 苦しいことがあっても我慢、我慢がえらい。 我慢して、やりとげることこそが美徳だ。 もっと仕事を作りださなければ。もっと前に進まなければ。ずっとずっとやりきらなければ。 しかし。 何年かして転職をした会

    私はあまり優秀じゃない、と知ったこと
  • 癌になりました

    ガーン(JT阻止) 医者から言われて1週間ほどは、死ぬのかなぁということも覚悟したけれど、まだ転移とかはないので、まだ死なないらしい。 でも、生きる意味とかは少し考えてしまう。 特に子どもを望めなくなるということとかは特に。 孫は両家ともいるんで勝手に繁栄も衰退もするんじゃねとは思うけれど、我が子ドリームも元々希薄だけども、 暇つぶしに子ども産んだ人にも、ガンの人は働かなくていいにも、さほどイラっとはしないけど、 方々に大なり小なり迷惑をかけるなぁというのと、わかってくれる人の有難さと、愛しさと切なさと心強さと。 経験談から、健康気をつけなよー? ってしたり顔で言いたいけど、私なら絶対「そーですね」って言っても行かないし、 行かなかったし、行ったけど、まぁ、結局は、今できることを全力でやるしかないのよね。 まあ、元気です、ガンだけど。

    癌になりました
  • なぜナンパ師や風俗好き男とヤッてはいけないか

  • 些細な事でイラッとできる状況って幸せだっだんだなぁと家族が癌になって..

    些細な事でイラッとできる状況って幸せだっだんだなぁと家族が癌になって初めて気づいた。

    些細な事でイラッとできる状況って幸せだっだんだなぁと家族が癌になって..
  • 元ガン患者の家族だった私が、今さらだけどいいたいこと。

    仕事でストレスがたまっている。 私は結構溜め込んでしまうタイプだから、言いたくて言えなかったことをずっと心の奥底に押し込めてきている。 家族は私の話を聞いてくれない。 自分の悩みばかり聞いて欲しがり、私が話すとすぐに自分の話に切り替えてしまう。 最近、少しでも楽にならなければと思うようになった。だから、ここに吐き出す。読みにくいところもあるかもしれなくて、不快になる方もいるかもしれないが、とにかく吐き出す。 元ガン患者と書いているが、治ったガン患者のことではない。亡くなったほうになる。 母は、ガンで亡くなった。 わかってから1年と半年ぐらいだった。その間、一番大変なのは人。でも、私たち家族も大変だった。 毎日、職場では普通に振る舞わなければならない。症状が進めば進むほど精神的に苦しくて、何もしたくなかったけど世間ではそんなのは関係ない。 職場と病院、家を行き来するのだけで精一杯。衰弱して

    元ガン患者の家族だった私が、今さらだけどいいたいこと。
  • 自分を呪う

    私は大学卒業した後、地元の大手企業に就職した。 来は大学院に行って勉強を続けるつもりだったが、地元の親が許さなくて色々面倒事があったからだ。 不意で初めた仕事を続けてもう10年近いが、今でもイヤでイヤで仕方がない。 私には、仕事を始めるよりずっと前、就職が決まったその日に決意したことがある。制約といっても良い。 ある条件を見たした時、仕事を辞めて都会に行こうと。 それは時間や金や人や職場環境、家庭環境、自分の能力、残した成果などを加味した複雑な評価基準を条件として決めていたものだ。 学生ごときが考えた想定だったこともあり、冗談になるだろうと期待していた。 精神的にも肉体的にも参って崩れそうになった時は、何度もそれを頼みにして、自分の力、あるいは守りとして、生活してきた。 しかし、驚くべきことに、それは私の予想を超えて現在を許容できるものであった。 私の当時の決意は、面白いほどに的中した

    自分を呪う