2007年8月12日、ダルフール地方ヌヤラ(Nyala)の難民キャンプで、母親に抱かれる赤ん坊。(c)AFP/MUSTAFA OZER 【8月13日 AFP】アフリカ連合委員会(African Union Commission)のアルファ・ウマル・コナレ(Alpha Oumar Konare)委員長は12日、スーダン西部ダルフール(Darfur)地方の平和維持活動について、現在展開しているアフリカ連合(AU)軍だけで充分であり、国連維持部隊は必要ないとの見解を示した。 同委員長は、スーダンのオマル・ハッサン・アハメド・バシル(Omar Hassan Ahmed al-Beshir)大統領と首都ハルツーム(Khartoum)で会談後、「アフリカ連合軍だけで足りる」と述べた。その上で、活動に要する資金が不足しているとして、「次は国連が、先に約束した(AU軍の活動)資金を拠出する番だ」と指摘した
本に「だれそれ監修」と書いてあることがありますね。だれそれは、たいてい大物です。「監訳」というのもあります。これは「何もしていない。名前を貸しただけ」という意味です。 たとえばサイードの『オリエンタリズム』は、板垣雄三・杉田英明監訳、今沢紀子訳、とあります。訳したのは今沢さんです。杉田さんは、論文といってもいい長文の解説を書いています。板垣さんは、何もしていません。 だれそれ監修、あれこれ著、とあったら、たとえだれそれの名前がどれほど大きく出ていて、あれこれの名前がどれほど小さくても、書いたのはあれこれさんです。だれそれさんは、何もしていません。ですから、「監修」「監訳」とあるのは、その人の書いた本ではありません。「監修」というのは、「大物なので名前を貸した」という意味です。「責任編集」も、それに近いです。国会図書館は、「監修」や「責任編集」を、その人の本と認めないようにしたらどうでしょう
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