Yahoo! JAPANトップページの機能を正しくご利用いただくには、下記の環境が必要です。パソコンでご利用のお客様 Windows:Edge 最新版 / Chrome 最新版 / Firefox 最新版 macOS:Safari 15.0以上タブレットでご利用のお客様 iOS 15.0以降、または、Android5.0以降のOSに標準搭載されたブラウザー ※日本国内版として発売されている端末でご利用ください。
![Yahoo! JAPAN](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/40d6de1f7b41b875020ee3ab8b244672a18f9b06/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.yimg.jp%2Fimages%2Ftop%2Fogp%2Ffb_y_1500px.png)
ユングベリは自身の役割について、「中盤で落ち着いてボールを回すこと」と話す【Getty Images】 「ニホンニコレテ、ホントウニウレシイデス」 9月8日にアウトソーシングスタジアム日本平で行われた入団会見で、フレドリック・ユングベリはたどたどしい日本語であいさつし、会見の2日後には、ジュビロ磐田との静岡ダービーでJリーグデビューを果たした。あれから約1カ月半が経過した。 しかし、つま先のけがの影響もあり、現在までに90分フル出場した試合はわずか1試合にとどまっている。リーグ戦5試合(252分)、カップ戦2試合(73分)と、出場時間は期待されたほど多くない。この数字だけを見ると、チームを救う絶対的な外国人助っ人選手としては物足りないかもしれない。だが、ユングベリ加入後の清水エスパルスは、9試合を戦い、5勝2分け2敗(リーグ戦3勝2分1敗、カップ戦2勝1敗)と好調を維持している。 J
「頭の中がぐわんと揺れた感じでした。やった瞬間だけじゃなくて、その前後の記憶がないんです。ただ頭が真っ白になって、これはまずいと感じたことだけは覚えています」 2月23日に行われたAFCチャンピオンズリーグのグループステージ第1節、韓国・城南一和とのアウエーゲーム(0−2で川崎フロンターレが敗戦)。時計の針が15分をすぎたときのプレーだった。左サイドにいたレナチーニョからの折り返しのボールを、バイタルエリアに走り込んできた中村憲剛が胸でトラップ。そのまま次のプレーに入ろうとした瞬間、斜め横から突進してきた相手DFの頭と憲剛の顔面がもろに衝突。憲剛はピッチに倒れた。ピッチサイドで撮影していたカメラマンはその瞬間、固くて重い物同士がぶつかり合うような鈍い音を聞いたそうだ。 「たぶんヘナ(レナチーニョ)からだと思うですが、横パスが来たところまでは覚えています。だけど、そのあとの記憶がない。胸
ポチェッティーノ監督(左)との求めるサッカー観の違い、それが中村が活躍できなかった一番の理由だ【Getty Images】 2月27日、バルセロナ国際空港――。 エール・フランスのチェックインカウンターで搭乗手続きを済ませた中村俊輔が、ゆっくりと出発ゲートへと歩いていく。前夜まであわたただしく自宅の荷物を整理した。大きなスーツケースが3つ。スペインで生活した7カ月間の荷物は、予想以上にかさばった。ゲートへと歩きながら、「8年間のヨーロッパでのプレーを終えての帰国だけど」と聞くと、彼は「また新しい挑戦がはじまるという感じ」と言って、軽く握手をすると、出発ゲートの中へと消えていった。 しばらくの間、中村の移籍についてあれこれ大々的に報道していた地元メディアもこの日は空港に駆けつけず、特に大きな喧騒(けんそう)もない。それは想像していたよりもずっと静かな出発だった。 横浜F・マリノスへの移
遠藤(中央)は韓国戦でPKを決め先制点を挙げた。しかし逆転負けを許し、試合後は厳しい表情で反省を口にした【Photo:YUTAKA/アフロスポーツ】 「言われたことをその通りにやるっていう日本人の悪い癖が出ている。もっと遊び心を持ってやらないと創造性が出てこない。試合中にポジションを変えるのもそう。実際にやっているのは自分たちなんだから、リズムが取れなければ監督に関係なく修正しないと」 遠藤保仁は東アジア選手権が開幕してからずっとこう言い続けてきた。岡田武史監督のコンセプトに縛られがちな日本代表を何とか変え、プラスの方向へ持っていきたい。中村俊輔不在のチームにあって、攻撃陣のカギを握る彼は、最終戦の韓国戦を大きな転機にしたいと考えていたはずだ……。 出だしは悪くなかった。ユース時代からお互いを知り尽くしている稲本潤一がアンカーの位置に下がり、遠藤が前へ行く縦関係のボランチは機能している
10月に控えたU−17ワールドカップ(W杯)本大会に向けて強化を進めるU−17日本代表がスペインのビジャレアルで行われた第10回ビジャレアル国際ユースサッカー大会(8月8日〜11日)に参加した。U−17日本代表の最終順位は、8チーム中7位。グループBに入ったU−17日本代表は、初日のミラン戦で0−1の敗戦、2日目のレアル・マドリー戦は2点を先制しながら2−2の引き分け。3日目はセルティックに1−2と逆転負けを喫し、グループ最下位で最終日の順位決定戦へ。最終日の7位、8位決定戦はビジャレアルに5−0と大勝して意地を見せた。 U−17日本代表を率いる池内豊監督は、全日程終了後、「1戦1戦、いろいろと試しながら積み上げてこれたのでいい大会だったと思います。ここに来るまでコンディションが悪い選手が多かったため、3試合目(セルティック戦)はだいぶきつくなりましたが、選手たちはよくやってくれました。
24日に行われたセリエA第37節ミラン対ローマ戦は、ミランの偉大な主将パオロ・マルディーニにとって、ホームであるサン・シーロ・スタジアムでの現役最後の試合となった。この日、マルディーニのために集まった大勢のミラニスタ(ミラノのファン)たちは、同選手のこれまでの功績とクラブへの貢献に対し、最大級の賛辞と感謝を示した。 ミランの選手がスタジアムに入場した際、約8万もの白いチームマフラーがミラニスタたちの手によって掲げられた。そのすべてのマフラーに、彼らのアイドルであるマルディー二の名前、背番号、そして彼が勝ち取ってきたすべてのタイトルがプリントされていた。さらに何百という横断幕も掲げられ、多くのミラニスタは同選手のユニホームに身を包んでいた。横断幕の1つにあった“マルディーニのクローンを!”という言葉は、ミラ二スタにとって同選手が唯一無二の存在であることを物語っていた。 試合はミランがロー
その日、国立競技場のピッチに立った若者は、不敵とも言える表情を浮かべていた。観衆の大歓声をエネルギーとして体内に取り込んだのかのように、躍動が激しくなった。刹那(せつな)、彼はゴールへのどう猛な欲求をみなぎらせる。 しつこくマークしてくるDFの動きを、右腕で封じながら切り返すと、緩急の急激な落差で相手のバランスを崩してシュートコースを作った。敵も然る者、2人、3人が目の前に立ちふさがるが、若武者はその壁を体ごと突き破るように前へとボールを運んだ。 「止められるものなら止めてみろ」という気迫がスタジアム全体に伝わると、最後は左足のシュートでネットを揺すった。ストライカーの称号とも言える背番号9が、彼には実によく似合っていた。 第87回全国高校サッカー選手権大会、決勝。鹿児島城西の大迫勇也は10得点目を決めて1大会での最多得点記録を更新、得点王に輝いた。大迫は「ゴールはうれしかったですけ
1月2日、スペイン2部のジローナが柏レイソルユースに所属していた17歳のFW指宿洋史の獲得を発表した。契約は3年半。18歳に満たない選手の海外移籍は原則禁止されているため2月27日の誕生日までは試合に出場できないが、指宿は正式契約後すぐにチーム練習に合流し、スペインでプロ生活をスタートさせている。 「ガラっと環境が変わりました」と本人が話すように、ジローナ移籍以降はピッチ内外すべてのことに“初”が付いた。しかし、劇的な環境の変化の中で舞い上がることも、自分の立ち位置を見失うこともなく、指宿は先にあるデビュー戦やスペインでの成功のために日々練習やスペイン語の習得に励んでいる。そんな彼に入団から約1カ月が経った1月末、話を聞いた。 ――1月上旬のジローナ移籍から約1カ月が経ちました。この1カ月を簡単に振り返ってください やっぱり、最初は厳しかったですね。慣れなくて体調を崩しかけたこともあり
セリエAのクラブに在籍する唯一の日本人選手、森本貴幸はカターニアに入団して3シーズン目を迎えている。 3シーズン目といっても、入団時の年齢が18歳5カ月とセリエAに参戦した日本人選手の中で最も若く、さらにベテランと中堅でチームを構成しているクラブが圧倒的に多く、ヨーロッパの他国リーグに比べて若手選手の居場所が少ないセリエAでは、年齢的にはまだまだ“ひよっこ”のような存在だ。 しかし、その“ひよっこ”が12月21日に行われたセリエA第17節のローマ戦で2ゴールを挙げ、カターニアの勝利に貢献した。この活躍がイタリアのマスコミにも大きく取り上げられたことはまだ記憶に新しい。そして2月8日、第23節のユベントス戦でもスタメン出場し、後半6分に今季3点目となる同点ゴールを記録。試合は惜しくも終了間際に決勝ゴールを奪われ敗戦を喫したが(2−1でユベントスが勝利)、森本はセリエAというハイレベルな舞
【ロンドン9日共同】サッカーのイングランド・プレミアリーグのチェルシーが9日、ブラジル人のスコラリ監督を解任したと発表した。クラブは「シーズンの大事な時期に、結果とパフォーマンスが悪化している」と理由を述べた。当面はウィルキンス・コーチが指揮を執る。 同監督は昨年6月にチェルシーの監督に就任。7日のハル戦を無得点で引き分け、現在は首位と勝ち点差7の4位となっている。 [ 共同通信社 2009年2月10日 1:39 ] 前後の記事 - [サッカー] スコラリ監督を解任 チェルシーが発表 - 2月10日 1:42 「相手の高さは気にしていない」内田篤人=サッカー日本代表 - 2月9日 22:17 アダムス監督を解任=欧州サッカー・ポーツマス - 2月9日 21:37 「攻め急ぎが一番やってはいけないこと」遠藤保仁=サッカー日本代表 - 2月9日 21:13 体の切れに問題なし 合流の長谷部、
2006年2月18日以来の再戦となる、フィンランド代表。3年前、静岡のエコパ・スタジアムで行われた試合は、ジーコ監督(当時)率いる日本代表が2−0で勝利している。だが、個人的には試合を決定づけた小笠原満男の豪快なミドルシュートと、浜松で食した「ひつまぶし」の絶妙な食感だけが、今も心地よい記憶として残っている。逆に、このときのフィンランドの印象というものは、どうにも思い出せない。 今回の来日メンバー21名についても、3年前と同様、あまりぱっとしない。フィンランドの国民的英雄、ヤリ・リトマネンの雄姿が見られるのはうれしい限りだが(この人の来日は、1995年にアヤックスの一員としてトヨタカップに出場して以来、実に14年ぶりである)、あとはまったくなじみのない名前ばかり。キャップ数でいえば、リトマネンの118は別格として、クイバストが73、あとはひとケタとゼロばかり、という陣容である。チームを率
第87回全国高校サッカー選手権を制したのは、堅い守備と機を見た鋭い攻撃を展開し、組織力では今大会で一番光っていた広島皆実(広島)だった。その広島皆実を率いたのは就任2年目の35歳の青年監督・藤井潔。優勝という結果を手にした後、藤井監督の周囲はあわただしくなったが、変わったのは周囲だけで、本人は以前と同じように自然体だった。周囲の喧騒(けんそう)をよそに、普段と変わらない姿勢でいる藤井監督の本心に迫ってみた。 ■広島皆実の歴代の指導者は攻撃サッカーを志向していた ―――優勝おめでとうございます。今の率直な感想を教えてください ありがとうございます。優勝できて反響の大きさに驚いているのと、その中身がいいサッカーをやっていたと評価してもらっていることについては、正直うれしいですね。今の3年生と時間をかけて作ったもので、(前監督の)鯉迫(勝也)先生の色がすごく出ていたチームですし、過去の指導者を
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く