昨季の明治安田生命J1リーグ。2017年12月2日の最終節で劇的な逆転優勝を遂げた川崎フロンターレを感無量の面持ちで見詰めた人がいる。2000年12月から15年4月まで川崎の社長、それから1年間は会長としてクラブの発展に尽力した武田信平さん(68)だ。手塩にかけたクラブの歩みを振り返ってもらった。(聞き手は武智幸徳)「優勝が決まるまで一瞬、間が空いた。磐田と戦っていた首位鹿島の結果次第だったか
![川崎がJ1初Vで証明した3つのこと(前編) - 日本経済新聞](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/451e9d92ceb7e7396e007ae1a151d930571b4a57/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Farticle-image-ix.nikkei.com%2Fhttps%253A%252F%252Fimgix-proxy.n8s.jp%252FDSXMZO2579738017012018000001-6.jpg%3Fixlib%3Djs-3.8.0%26auto%3Dformat%252Ccompress%26fit%3Dcrop%26bg%3DFFFFFF%26w%3D1200%26h%3D630%26s%3D14906f159630a44377c60297f0f697db)
今年もJリーグが開幕した。リーグ戦、YBCルヴァンカップ、天皇杯という3大タイトルを目指し、これから9カ月間、合計57チームがしのぎを削るわけだが、この間に開催される試合数は1000以上に達する。 リーグ戦の合間にルヴァンカップの日程や国際大会、天皇杯の予選、本戦が入り込むJリーグの日程は複雑を極め、その試合の組み合わせを決める作業は当然に難易度が高い。 その難易度の高い作業をこなしているのは当然に人ではなく、「日程くん」と命名されたシステム。基になっているのは、重厚長大産業の代表格である製鉄会社が、最も効率的に製品を製造するために編み出した、「組み合わせ最適化技術」なのである。 初代日程くんの登場で作業速度が向上 現在、J1は18、J2は22、J3は17のチームが参戦している。リーグ戦はJ1、J2、J3とも2回ずつの総当たりとなっている。試合日程の組み合わせの数は、実にJ1で10の255
ポチェッティーノ監督(左)との求めるサッカー観の違い、それが中村が活躍できなかった一番の理由だ【Getty Images】 2月27日、バルセロナ国際空港――。 エール・フランスのチェックインカウンターで搭乗手続きを済ませた中村俊輔が、ゆっくりと出発ゲートへと歩いていく。前夜まであわたただしく自宅の荷物を整理した。大きなスーツケースが3つ。スペインで生活した7カ月間の荷物は、予想以上にかさばった。ゲートへと歩きながら、「8年間のヨーロッパでのプレーを終えての帰国だけど」と聞くと、彼は「また新しい挑戦がはじまるという感じ」と言って、軽く握手をすると、出発ゲートの中へと消えていった。 しばらくの間、中村の移籍についてあれこれ大々的に報道していた地元メディアもこの日は空港に駆けつけず、特に大きな喧騒(けんそう)もない。それは想像していたよりもずっと静かな出発だった。 横浜F・マリノスへの移
サッカー選手としてさまざまな舞台を経験した一木。写真はソニー仙台時代のもの【写真提供:ソニー仙台フットボールクラブ】 「一木太郎」という元フットボーラーをご存じだろうか? もしご存じなら、おそらくそれなりに年季の入ったサッカーファンではないかと拝察する。しかし、だからといって「一木太郎」は大昔のプレーヤーではない。1976年9月1日生まれの現在32歳。現役のJリーガーでいえば、宮本恒靖(神戸)や財前宣之(山形)と同期である。いや、むしろ上記2名とは、93年に日本で開催されたU−17世界選手権(現U−17W杯=ワールドカップ)の日本代表として共に戦ったチームメート、と紹介すべきなのかもしれない。ちなみにこの時のU−17代表には、松田直樹(横浜FM)、戸田和幸(慶南FC/韓国)、そしてあの中田英寿(引退)といった2002年W杯の日本代表の中心選手たちも名を連ねていた。2年後の「黄金世代」の登
その日、国立競技場のピッチに立った若者は、不敵とも言える表情を浮かべていた。観衆の大歓声をエネルギーとして体内に取り込んだのかのように、躍動が激しくなった。刹那(せつな)、彼はゴールへのどう猛な欲求をみなぎらせる。 しつこくマークしてくるDFの動きを、右腕で封じながら切り返すと、緩急の急激な落差で相手のバランスを崩してシュートコースを作った。敵も然る者、2人、3人が目の前に立ちふさがるが、若武者はその壁を体ごと突き破るように前へとボールを運んだ。 「止められるものなら止めてみろ」という気迫がスタジアム全体に伝わると、最後は左足のシュートでネットを揺すった。ストライカーの称号とも言える背番号9が、彼には実によく似合っていた。 第87回全国高校サッカー選手権大会、決勝。鹿児島城西の大迫勇也は10得点目を決めて1大会での最多得点記録を更新、得点王に輝いた。大迫は「ゴールはうれしかったですけ
2009年02月13日 キャンプの違いから見るミラーとオシムの違いについて 2009石垣島キャンプ 詳細について 連日、楽しいレポートが伝えられる石垣島キャンプもいよいよ大詰め。 巻選手もチームに合流し、残すはシーサーマッチのみとなりました。 多くの方が感じているように、今回のキャンプは、これまでのトルコキャンプと比べて、様々な違いが見られました。 今回はそんなキャンプの違いから見る、ミラーとオシムの個性について、考えていきたいと思います。 参考文献:Number 722 ■トルコキャンプ オシム就任後、すっかりお馴染となったトルコキャンプ。 今季、石垣島キャンプが決まった時は、「トルコキャンプが良かった」という声も聞かれましたが、それだけジェフの歴史に根付いた、非常に面白い試みだったと思います。 多くの欧州のチームが近くでキャンプを行っていることで、目に付いた選手を獲
入れ替え戦試合後、仙台のサポーターが大きな拍手を送ると磐田の選手たちは仙台サポーターの前で一礼した。「世界にはギスギスしたリーグもありますが、Jリーグはこれでいいのでは」と倉敷アナ。
サッカーの言葉から仕事や人生を考えるビジネスパーソン向けコラム KDDI AUやソフトバンクモバイルの公式携帯サイト「伝説動画」で連載中 2008年11月06日 大分トリニータ溝畑社長 チームそのものが体の一部 選手が結果が出せなかったら、それは選手のせいではなくて、フロントのせいだと、そういうことははっきりしています。チームそのものが自分の体の一部になっているんです 大分トリニータ 溝畑社長の言葉 サッカー批評39 2008年7月10日発行 数日前ののどかな昼休みに、ナビスコカップの決勝がもうすぐなんだ、という話になった。 Jリーグに興味のない友人は「へえそうですか」という顔をしている。「いや、ナビスコの決勝戦は、ここ数年すごく面白いんだから」と僕は念を押すように伝える。 「今年の決勝は、どこ対どこなんですか?」と話を合わせてくれた心優しい友人は聞いてくる。大分と清水だよ、
処分無効のCAS裁定を受け、記者会見で笑顔を見せるJ1川崎の我那覇和樹選手=28日午後、川崎市 【 共同 】 先日、川崎フロンターレの我那覇和樹が、彼自身にかけられていたドーピング違反という汚名をそそぐ裁定を勝ち取った。1人のアスリートの潔白が証明された形だが、概略と現在の争点について解説してみようと思う。 ■事件の概略と経過 我那覇和樹が巻き込まれた一連の騒動の発端は、2007年4月23日に行われた静脈注射だった。この日我那覇は体調不良を訴えており、チームドクターの判断によって練習後に生理食塩水とビタミンB1の静脈注射(点滴)を受ける。この事実が翌日のスポーツ紙で報じられ、問題が表面化することになる。ただし問題といっても、生理食塩水もビタミンB1も禁止薬物などではなく、唯一静脈注射が問題とされていた。 Jリーグ側は、この治療は「我那覇選手の健康状態の緊急かつ正当な医療行為として承認す
2008年05月09日 ジェフ千葉監督を解任されたヨシップ・クジェのインタビュー 6日の浦和戦での敗北後、ジェフユナイテッド千葉の監督を解任されたヨシップ・クジェ(日本での登録名はクゼ)の電話インタビューが8日のVecernji-list紙に掲載されていたので翻訳します。 ヨシップ・クジェは昨日から正式にJ1のジェフユナイテッドの監督ではなくなった。 「ちょうどクラブの会長との話し合いが終わったところだ。悪い結果が続いたあと、別れることは当たり前の解決策だ」 -遠い日本からヨシップ・クジェは私たちに話した。しかし、完全に別れが決まったわけではない。 「この先一年半はクラブが私に取り決めた額を分割で払うことに合意した。それには本当に満足しているよ。日本人には正確というべき以上のものがある」 -クジェはそう語り、ジェフユナイテッドを解任された理由を説明した。 「クラブへと訪れた
■チョンブリに始まり、チョンブリに終わる 初挑戦となる2年前はアジアの荒波に無残に飲み込まれたガンバ大阪(以下、G大阪)。「グループリーグ突破はもはや義務」と指揮官、選手ともに口をそろえたアジアチャンピオンズリーグ(以下、ACL)で、最終節を待たずしてクラブ史上初のグループリーグ突破を成し遂げた。 3月12日に行われた万博スタジアムでのチョンブリFC(以下、チョンブリ)戦に始まった今年のACL。G大阪にとって、良くも悪くも「チョンブリに始まり、チョンブリに終わる」といったグループGでの足取りだった。 最終節を前に、決勝トーナメント進出の夢が断たれた2年前とは逆に、今回は5試合目での突破が可能という順調すぎる戦いぶり。ただ、西野朗監督も「チョンブリとの初戦であらためて簡単な大会ではないと痛感した」と振り返ったが、手痛いドロー発進で逆境に立たされたはずのチームは、逆に精神的な強さを発揮する
■フッキ退団から始まった川崎の混迷 関塚隆監督が辞任した。詳しい経緯は後述するが、今季の川崎フロンターレの混迷を象徴する出来事となってしまった。そもそも、タイトル取りを目標に定めたシーズンに狂いが生じたのは、リーグ戦開幕直後。関塚前監督が描いていた超攻撃的サッカーという野望は、フッキの退団によって過去のものとなった。 2005年のJ1再昇格から4年目。駆け足で強豪クラブの一角に名前を連ねるまでになった川崎にとって、今季は勝負を懸けたシーズンだった。悲願のリーグ制覇に向けて補強を敢行。その目玉がフッキだった。前年のJ2で規格外の得点力を見せつけ、東京ヴェルディをJ1昇格へと導く原動力となったフッキには大きな期待が掛けられた。実際にシーズン前の練習試合ではその力を思う存分に発揮していた。だが、彼が機能したのは開幕前の3月1日に行われたFC東京との練習試合までだった。 自身の経験を踏まえ、手
■改革を断行するエンゲルス新監督 ホルガー・オジェックの跡を引き継ぎ、浦和レッズの監督に就任したゲルト・エンゲルス。新指揮官はさまざまな方策を施してチーム改革を断行している。 オジェック前監督が更迭される主因となったJリーグ第2節・名古屋グランパス戦から約1カ月が経過。その間、エンゲルス新監督は選手のモチベーション回復と戦術構築に奔走している。 オジェック前監督はチーム内に規律を持ち込み、主従関係を明確にする手法を採った。エンゲルス監督も、その姿勢に変わりはない。確かに前任者よりも選手との会話を重視し、練習中に“青空面談”を行い、戦術練習の際には逐一プレーを止めて懇切丁寧に指導を行っている。しかし、それは指揮官として当然の役割を果たしているだけで、取り立てて斬新な所作ではない。また、エンゲルス監督はフランクで温厚な人柄ではあるが、選手との間には明確な線引きがされており、決して指揮官と選
10周年目を迎えるJFL。横河武蔵野FCの開幕戦は聖地・国立で開催された 【 photo by 宇都宮徹壱 】 ■10年目を迎えるJFLに注目する! 3月16日、日曜日。Jリーグ開幕から1週間遅れで、ついにJFL(日本フットボールリーグ)が開幕した。 今季はJFLが開幕して10周年。このアニバーサリーを祝福するかのように、横河武蔵野FCの開幕戦は、何と聖地・国立競技場で開催されることとなった。国立でのJFL開催は、もちろん今回が初めて。横河のスタッフから聞いた話では「実は都内のほかの競技場が押さえられなかったんですよ」とのことだが、多分にご祝儀的な意味合いもあったのだろう、開催に関するハードルは思いのほか低かったそうだ。 この日の入場者数は4101人。当初はメーンスタンド限定だったが、直前にゴール裏も開放され、両チームのサポーターが掲げる横断幕やゲームフラッグが彩りを添える。もちろん
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