最もありふれていて当たり前すぎ,日頃はそれについて意識することもないのに,それなくしては生きていくことすらできないものが,時間と空間である。それでも空間はまだ,視覚的にも触覚的にも大小や上下左右,遠近など,他者と共有できる直感的イメージが持ちやすい。ところが時間となると,時計が示す外部情報抜きにしては,自律的に客観性を持った直感的イメージを持つことはほとんど不可能に近い。アインシュタイン(Albert Einstein)が「まばゆいほど美しくて楽しい女性」と食事をともにした1分が,実は客観的時間で57分であり,加熱したワッフル焼き器の上に座った 1秒が,主観的時間では1時間以上に思えたのが,そのいい例だ(「アインシュタインのホットなひととき」)。 自明であり不可解な「時間」 「時間よ,止まれ。おまえは美しい」といっても,「おまえは美しい」と感じている時間は止まっていない。タイムマシンで過去
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