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流行の話題が似たり寄ったりな生成AIなのホンマつまんねー。 AIが高品質の絵描けます!楽曲作れます!って最初は「スゲー」って思ってたけど、使ってみると検索ワード入れて虹エロ絵ググって漁ってる感覚と同じなんだよ。いい加減飽きた。 それよかさっさとクラウドアーキテクチャ管理とかアプリケーションのテスト管理とかできるようにして楽させてよ。Copilotにコード貼り付けてプロンプト生成すんのめんどくせーんだよ。 つまんなくなったなと決定的に感じたのは、今年の頭に行ったデブサミ。 似たり寄ったりな生成AIの活用話ばっかり。過去一つまんなかった。いつもは面白くて夢中で聞いてたんだけど、今年は途中で帰った。本当につまらなかった。 なんていうか、生成AIのプロンプトエンジニアリングとかの話って、人材マネジメント的な話と根本はおんなじ感じがするんだよな。いかにて優秀な新人AI君を働かせるか?的な。 でも、ビ
効率的な環境保護活動に罪悪感を感じるのはなぜだろう? 私の作ったグラフは、環境保護についてのポスターに使われるかもしれないが、私自身は環境保護活動のポスターガールには絶対にならない。 私が食事を作っているのを見れば、環境破壊しているようにしか見えないだろう。ほぼ電子レンジしか使わない。調理にはほとんど時間をかけない。調理に10分以上かかる食事は〔環境保護の観点からは〕食べる価値はない。私はほぼパッケージ化されたものを食べている。アンゴラ産アボガド、メキシコ産バナナなどだ。地元で作られた食材はほとんどない。地元産かどうかについて気にして、ラベルをチェックする必要もない。 これは「持続可能」と思われている行為と正反対だ。我々の脳裏にある「環境に優しい食事」のイメージは、地元の市場からの仕入れ、有害な化学物質を使わない有機(オーガニック)農場での生産、プラスティック梱包よりも紙バッグでの持ち帰り
仕事で大阪に行った時の話なんだけど、電車に乗ったら、目の前にJKが二人座ってたんだよ。 なんかもう、大阪感満載の子たちで、とにかく声がでかいんだよね。 で、その会話が耳に入ってきちゃうんだけど、これがもう漫才みたいでさ、思わず吹き出しそうになったんだ。 一人が「なぁ、化物語で誰が好き?」って言うと、もう一人が「わたし、あの子好きやわぁ、ほら、あの子」って返してさ。 「あの子って誰?」って続けて聞くと、もう一人の子が「戦場ヶ原またぎ」って言ってさ。 「戦場ヶ原またぎって誰!?なんで狩人のおっさんみたいになってんねん!!それ、戦場ヶ原ひたぎやろっ!!!」って突っ込んでて、その時点でもう吹き出しそうになったんだ。 そしたらボケてるっぽい方の子が、「わたし、モノマネ得意やよ」と言うんでもう一方の子が「ほな、やってみて」と振るんだよ。 ボケの子がじゃあやるねと言って喉を整えるように咳を一つ。 それか
「設計書」というのは、作るものの構造を抽象的に表現したものと言うことができます。 ただ、ソフトウェアの抽象化の仕組みはプログラミングコード自体に備わっているので、ソフトウェア生成可能な抽象的表現というのはコード表現ができるはずですね。コードで表現しておくと、整合性のチェックとかも行いやすいです。 でも、コードではない「詳細設計書」というものが一部業界には必要とされているので、その「詳細設計書」というのは実際はなんなのか考えてみます。 ※ 最初はタイトルは「設計書」としてましたが、話を限定するため「詳細設計書」に変更しました。 追記:納品物に関する記述を追加しました。 追記(2024/11/27):「概略図」「物理設備の設計」を追記 表現を変えたコーディング ソフトウェア生成可能な抽象的表現というのはコード表現ができるわけですが、文字で表記する必要もなく、ダイアグラムで表現することもできます
それは結婚以来ずっとそうで、だが第三者を含む場合は違う。 妻は僕のことをちゃんと下の名で呼び、しかし二人だけに戻ると再び僕のことを名字+くん付けで呼ぶ。 結婚二年目なのに。 最近、ようやくそのことを思い切って尋ねた。 「なあ、どうして僕のことを名字で呼ぶんだ。それも”くん”付きで」 そう言うと彼女は目を逸らし、「それは…」と言い淀んだ。 僕は引かなかった。急かすこともなく、話題を逸らすこともなく、妻の回答を待った。 妻は根負けしたように「学生のときみたいで、なんかいいじゃん」と言った。 は?と思った。 「なんだよそれ」と思わず口に出して言うと妻は拗ねたように「ふーん」と言った。 訳が分からず、冗談で今度は僕の方から妻のことを名字で呼んでみた。 「ねぇ、〇〇(妻の旧姓)どういうことなんだ?」 彼女は僕に窄んだ目を向けてきた。 その瞬間、僕はハッとした。 それは自分の思い出と重なる映画のワンシ
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