母正子さんのちらしを手にする佐藤悦子さん。手前は母の写真と焼け跡から見つかった腕時計や小銭=加古川市内(撮影・中西幸大) 6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から、27年がたとうとしている。この長い年月を経てなお、行方不明のままの被災者が3人いることをご存じだろうか。遺体はもちろん、遺骨も見つかっていない。兵庫県加古川市の佐藤悦子さん(58)の母、正子さん=当時(65)=もその1人だ。神戸市須磨区で被災した。「ひょっとして、どこかで生きているのでは」。整理のつかない喪失感を抱えながら、母を捜し続ける悦子さん。彼女の歳月をたどり、悲しみとの向き合い方について考えたい。(論説委員・小林由佳) 1995年1月17日、悦子さんが小学生の娘2人と暮らす加古川市の自宅もかなり揺れた。すぐに母が1人で住む神戸の実家に電話をしたが、応答がない。やがて呼び出し音も鳴らなくなる。それでも「お母ちゃんは近くに