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ブックマーク / shirooo305.hatenablog.com (19)

  • 『空の青さを知る人よ』の演出と青さについて - Paradism

    長井龍雪監督作品におけるパキっとした影づけ、目にかかる影、影中の表現。それは往年の作品から続く “長井監督らしさ” でありながら、その中で描き続けてきた物語の象徴としてもその存在を印象づけてきました。屈した感情、心に溜まるもの。それらをライティング*1から表現し描くのは、ひとえに言葉として打ち明けられない彼・彼女たちの想いを汲み取れる表現でもあるからなのだと思います。もちろんアニメという映像媒体である以上、ビジュアルとしての良さを突き詰めた結果そうなった側面はあるのだと思いますが、関係性や心情を物語の軸として描いてきたのが超平和バスターズという作家陣の軌跡です。だからこそ、色彩や撮影、レイアウトなど、それらが合致することで生まれるライティングの趣きの中には、やはり物語的な意図が深く根づいているのでしょう。 それは今作でも同様であり、影づけが顕著に映えるシーンの多くが印象的なものとなってい

    『空の青さを知る人よ』の演出と青さについて - Paradism
    Pasta-K
    Pasta-K 2021/07/07
  • 『ぼくたちは勉強ができない』OPについて - Paradism

    静かな朝から始まるオープニングフィルム。静寂な曲調の中に織り交ぜられるフェティッシュなカットが非常に素敵で堪りませんでした。女性特有のシルエットに含まれる艶美さと可愛らしさ。それだけでもグッと引き付けられてしまう魅力に溢れていますが、撮影の良さ・見せたいところを強調した動かし方の他にオーバーラップを使った少しミステリアスなカッティングであったことは強くフィルムの良さに影響を与えていたと思います。 曲調が替わりそれぞれが登校、弾けるように駆け出していくカットも全身を映すのではなく足元など映える局部を映していたのが印象的で、その後の映像を観ても女性の可愛らしさを活かしたショットが基軸にあったことはおそらくこのオープニングにおける統一のテーマになっていたのでしょう。 もちろん、局部だけではなく繰り返し映されたそれぞれのヒロインの表情変化もまた可愛らしさを描くことに注力した結果であったはずです。楽

    『ぼくたちは勉強ができない』OPについて - Paradism
    Pasta-K
    Pasta-K 2019/04/07
    へーOP良さそう!観てみるか
  • 劇場版『若おかみは小学生!』の芝居・身体性について - Paradism

    表情変化や歩き芝居に始まり、抱き寄せる芝居、ものを運ぶ芝居、屈む芝居、掃除をする芝居など、おおよそ生活の中で見られるであろうアニメーションを徹底して描き出した今作。日々人が営む中で起こす動きを描くというのは非常に難しいことですが、それを終始高いレベルでここまで快活に描いていたことにとても驚かされました。加えて、そういった数多くの芝居が物語に寄与していたものは計り知れず、鑑賞後はこの作品が劇場アニメとしてのスケールでTV版とは別に作られた意味を思い知らされたようでした。*1 なぜなら、両親を失くし、祖母に引き取られた先で若女将として経験を積んでいく主人公のおっこがその過程で見せた懸命さも、失敗も、時に見せる子供らしい表情もその全てがとても生き生きと表現されていたからです。着物のシルエットや姿勢、いわゆるフォルムとその動かし方や、それらを内包した生活アニメーションの巧さは前述した通り当に素晴

    劇場版『若おかみは小学生!』の芝居・身体性について - Paradism
    Pasta-K
    Pasta-K 2018/09/24
    観るの楽しみ
  • 『リズと青い鳥』鎧塚みぞれの仕草、掴むことについて - Paradism

    みぞれが髪を掴む仕草が描かれたのは、劇中でおそらく12回程*1だったでしょうか。寡黙にして映像*2で語ることが主体とされた作にあって、彼女のこの癖は強く印象に残り、決して多くを語ろうとはしないみぞれ自身の感情を映すものとして重要な役割を果たしていました。足や手の芝居、瞼、眼球の動きにまで心情の変遷・動きを仮託していた今作ですが、冒頭から終盤まで物語の転換点となる場面で描かれたこの癖はその中でも特に強調されていたように思います。 ただその仕草が具体的にどういった感情を代弁していたのか、ということまではハッキリとは分からず、むしろその描き分けはぼんやりと感情の輪郭を描くに過ぎませんでした。なにかを言い淀むように髪に触れ、掴み、心の中に留める仕草。それは明確な心情が芝居から滲み出る類のものではなく、“なにかしらの感情・言葉を心の内側に抱いている” と感じ取ることが出来るだけの芝居であり、そんな

    『リズと青い鳥』鎧塚みぞれの仕草、掴むことについて - Paradism
    Pasta-K
    Pasta-K 2018/05/02
  • 『リズと青い鳥』と微熱について - Paradism

    冒頭、鎧塚みぞれを中心に据えた描写から始まった作は徹底して内面を覗き込むような映像で構成されていました。浅い被写界深度、表情を伺うようなレイアウトの数々は言葉ではなく映像ですべてを物語るように繋がり、その瞬間瞬間にみぞれがなにを思い、考えているのかということを寡黙に語っているかのようでした。あらゆる芝居の機微に込められた情報量は言葉にするのも躊躇われるほどの多さと緻密さを誇り、彼女特有のアンニュイな表情も合わさることでより、みぞれの心情を深くそこに映し出していました。 しかし、転換期はみぞれが音大への進学を薦められ、パンフレットを受け取ったあとに訪れます。それまで一様にしてみぞれへ寄っていたカメラが希美を映し、彼女の心情にもそのフレームを寄せていくのです。ですが、それは作が『響け!ユーフォニアム』として描かれていた頃からなにも変わらずに続けてきた物語の分岐に他なりません。すべての登場人

    『リズと青い鳥』と微熱について - Paradism
    Pasta-K
    Pasta-K 2018/04/23
  • 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』6話の演出について - Paradism

    リオンとヴァイオレットを交互に映すカッティング・カットバックが多く見られた今話。「こういう顔なんだ」と言ったリオンの言葉宜しく、無表情であること、怒っているように見えてしまうことを逆手に取った表情の機微を取らえるコンテワークがとても印象的でした。ポン寄りなどの心に踏み込むようなショットや、交互に何度も切り返す映し方は前話でも見られましたが今回ではさらにそれが顕著だったと思います。 交互に映し、少しずつ近づけていく。過程を切り取る。二人の距離感と反応を伺うように繋がっていくカット運びは緊張感もありつつ、しっかりと両者の対話を描いていました。コミュニケーションが得意とは言えない二人ですが、その距離を詰めるように段々とヴァイオレットを理解し、心惹かれていくリオンの姿を克明に刻むカッティングがとても丁寧でしっかりとその心の変遷を捉えていたと思います。 そして、自身の解読に遅れることなくタイプを続け

    『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』6話の演出について - Paradism
    Pasta-K
    Pasta-K 2018/03/09
  • 高雄統子演出の視線 『ダーリン・イン・ザ・フランキス』5話 - Paradism

    ゴローがヒロに視線を向けるカットの多さが目立っていたのは序盤。ヒロの変化やゼロツーとの関係を見つめる彼の目は特に印象的に描かれていました。レイアウト的にも巧く、どれもヒロとは目を合わせない位置に置かれ、さりげなく彼を見つめるスタンスが際立ちます。これまでもヒロの傍に寄る立ち振る舞いをしてきた彼ですが、おそらくは立ち直り始めたヒロを見守る役目を彼が担っていることも今回そういった立ち位置で描かれた理由の一つなのだと思います。ですが、きっとそれだけではなかったのでしょう。感じる違和感や、異変。そういったものを含めての視線。だからこそ印象的に映る “傍に居ながらのこの距離感” はかなり独特です。 事のシーンではイチゴに対しても同じような視線を見せます。バストショットから視線を横に映すと次のカットでカメラは引き、イチゴが前部に映る。ここでも丁度影にかかるイチゴのレイアウトが巧く、ゴローとの対比と距

    高雄統子演出の視線 『ダーリン・イン・ザ・フランキス』5話 - Paradism
    Pasta-K
    Pasta-K 2018/02/14
  • 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』5話の演出・再演について - Paradism

    同ポが促す再演への期待。回想で語られたシャルロッテの出会いが現在へと回帰していく映像がとても良く、素敵でした。泣いていた少女と祈る少女を遠巻きに見つめるように前景を立てるレイアウトも憎らしく、この絵を何度も使う理由には今話の主題の一つでもあったシャルロッテ姫の成長を見守る意図も多く含まれていたのだと思います。 もちろん見守るだけではなく、正面から切り取ったり、至近距離までカメラを近づけ、感情を直接的に映し撮るのも今話の良さに拍車を掛けていました。それは作が「当の心を掬い上げる」物語でもあることと同じく、溢れ、零れ出す感情を映像としても見過ごすことなく捉えることに “掬い上げる” という意味を見出したからに他ならないのでしょう。それは時折差し込まれるヴァイオレットやシャルロッテたちの感情的なアップショットにも同じく当て嵌めることの出来るものであり、そうした被写体に寄せるべきカットこそが

    『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』5話の演出・再演について - Paradism
    Pasta-K
    Pasta-K 2018/02/11
  • 『宇宙よりも遠い場所』5話の演出について - Paradism

    南極へ旅立つマリの話から一転、めぐみの心情を多分に含んだ話へとシームレスに変遷する物語とフィルムの構成。すっと上手が入れ替わり、話の主体がマリからめぐみへと変化していたことをカット単位で寡黙に伝えてくれる巧さに心がざわつきました。二人の関係と向き合うことを強要するような横の構図がもたらす印象はとても強烈で、対立的。なによりゲーム機のコードをわざと引っかけたことや前話のCパート、遡れば意味深だったこれまでの彼女への映し方なども含め、今回の話はそうして彼女が溜め込んでいたものを直接的に映すことへ余り躊躇 (ためら) いがありませんでした。 淀みを含んだ感情。それを覆う壁。押し流すことが出来ない心の弱さ。フレーム内フレームで閉ざされた空間にめぐみを映したのも意図的で、マリとの距離感を感じさせる上、そこから想起されるものはやはり作の代名詞とも呼べるあの水たまりのカットに他なりません。それは普段の

    『宇宙よりも遠い場所』5話の演出について - Paradism
    Pasta-K
    Pasta-K 2018/02/03
    構成が素晴らしかったし、それを余すとこなく書かれていてスゴい
  • 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』2話の芝居と演出について - Paradism

    俯きがちな視線、目をそらす仕草と、終始どこか自信のなさを露呈していたエリカ・ブラウン。2話にして描かれたのはそんな彼女の寡黙な物語であり、自身を顧みるための話でした。 それも彼女自身が「自動手記人形に向いていないのは私の方だ」と語ったように、エリカはヴァイオレットに対し自らを重ねて見てもいたのでしょう。自動手記人形としての仕事に自信を持てていなかったであろう彼女の憂と、自分を見ているように思わせるヴァイオレットの存在。だから必然と目を背けてしまうし、「みんな新人みたいなもの」というカトレアの言葉にも過剰に反応してしまう。狭いレイアウトに押し込めるようなカットもおそらくはそうした彼女の下向きさを重ねた描写だったはずで、エリカの弱さを突き付けるようなフィルムが度々閉塞感を生み出し、彼女の息苦しさを緩やかに演出していたように思います。 またエリカの弱さはこうした芝居でも顕著に描かれていました。

    『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』2話の芝居と演出について - Paradism
    Pasta-K
    Pasta-K 2018/01/19
    2話観たら読む
  • 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』1話の手の芝居と演出について - Paradism

    輪郭線や反射光・影の多さなど、これまでの京都アニメーション作品を振り返っても特筆して線量の多いデザインと言っても過言ではない今作ですが、その中でも特に印象に残ったのは手の芝居に関してでした。それも感情や想いがその手を動かしているよう感じられたものが多く、例えば冒頭でヴァイオレットが自問自答するシーンに合わせ描かれた芝居はそういった感情の表出がとても顕著だったと思います。 ぎゅっと胸元を押さえるような動き。言葉にできないものに触れようとする指先の加減。「心を持たない」と言われ、普段の表情も決して豊かとは言えないヴァイオレットですが、この芝居はそんな通説に反してとても感情的だったと思います。芝居自体は大袈裟なものではありませんが、「こういうの、なんと言うのでしょう」と語るヴァイオレットの言葉を体現するような手の動きがよりこの芝居を感情的なもの足らしめてくれていました。なにより、こういった芝居こ

    『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』1話の手の芝居と演出について - Paradism
    Pasta-K
    Pasta-K 2018/01/13
    確かに手の芝居多かった
  • 『魔法使いの嫁』の瞳と演出について - Paradism

    特異な性質を持ち、それゆえに迫害を受けてきたチセ。目元の重線とアンニュイな瞳はそんな彼女を象徴するように気怠いイメージで冒頭から描かれます。また鎖などの強烈なモチーフも合わさることで一層彼女の “不自由さ” は浮き彫りになっていたと思います。 ですが、彼女の前にエリアスが現れたことを契機に状況は一変します。まるで彼がチセにとっての希望であるかのように瞳へはハイライトが足され、影を払い、風が吹き、光が充てられていくのです。チセの心の機微を踏襲するよう静かに、けれど劇的に。大袈裟に言ってしまえば、それまで悲痛な人生を過ごしてきた彼女にとってはこの出会いこそが祝福や希望であると語り掛けるため、それらの映像は構築されていたようにも思えました。 エリアスがチセへ肯定的な言葉を投げかけるシーンでもそれは同様です。見開かれた瞳、下にできた痣すらもその印象を失う程の輝きもって彼女は真っ直ぐエリアスを見つめ

    『魔法使いの嫁』の瞳と演出について - Paradism
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    Pasta-K 2017/11/26
  • 『リトルウィッチアカデミア』7話のカメラワークについて - Paradism

    Bパート終盤。アッコの退学を巡る一悶着を描いたシーンですが、この辺りのカメラワークに強い物語性が内包してあったのが凄く良かったです。基、最初は退学の可否を決める校長先生とアッコの間に想定線が置かれるていたと思うのですが、会話が進むにつれ会話の主体になる二人は順次入れ替わるので、(こういう言い方が正しいのかは分かりませんが)このシーンには想定線が複数存在します。特にアーシュラ先生とフィネラン先生のやり取りへの移行は顕著で、会話の主体者が他の二人に移ることを契機に、今度は彼女たち二人(またはその想定線)を基準にカメラは動き出していきます。 怒るアーシュラ先生の歩みをフォローしていくことでカメラはぐんぐん右へ。カツカツと音を立てる足元、肩を揺らし息巻く芝居、正面からのアップショットと実に感情的な映像でカットは繋がっていきますが、この時点ではもうアッコや校長先生は会話の蚊帳の外に置かれています。

    『リトルウィッチアカデミア』7話のカメラワークについて - Paradism
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    Pasta-K 2017/02/28
  • 『小林さんちのメイドラゴン』1話の演出と武本康弘さんについて - Paradism

    ドラゴンの少女トールが小林さんの家に訪問してからの一連のシークエンス。上手側に小林さんを置くことで物語は彼女を主体に据えるところから始まります。つまりトールを自分の家で雇うかどうかの選択によってこの物語は始まっていくといことです。逆にトールが下手側に立つことで彼女が小林さんにとっての試練であるかのような印象も受けます。扉が上手く被さる(少し家を出たところで止まっている)ことで、自身のパーソナルエリアを守るようなイメージも合わさり、彼女の来訪が小林さんにとっていかに突飛であったかということが強調されているようで面白いです。自宅に入ってからもどこか視線を外したりと芝居が丁寧。 小林さんが「無理なものは無理」と断ってからの見せ方も凄く良くて、天候がガラッと変ったかのように室内の明度・彩度を落として、陰影でキャラクターの感情やその場の雰囲気を表現する(画面をアンニュイにする)のは武さんらしくもあ

    『小林さんちのメイドラゴン』1話の演出と武本康弘さんについて - Paradism
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    Pasta-K 2017/01/16
  • 『響け!ユーフォニアム2』10話 心の屋根とカメラワーク、そして零れ出す感情の光 - Paradism

    あすか先輩と久美子のやり取りを描いたBパート。編全てが素晴らしかった今回の挿話でしたが、ことここのシーンに関しては観ているだけで震えが止まらず、久美子が泣き出すのと同じくらいから私も堰を切ったように泣いてしまいました。もちろん、力の込もる演者さんの熱演、キャラクターの表情、仕草といったその全てが凄かったわけなんですけど、特に私が素晴らしいと感じたのは一連のシーンのカメラワークと光源、そしてこの渡り廊下に架かっていた屋根の使い方で、この辺りはいかに映像表現においてレイアウトが大切なのかということを如実に物語っていたのではと思います。 この辺のカットを観てもそうですが、このシーンにおいてはとにかく影と光を強く意識していて、終始顔や身体に影が掛かるレイアウトが使われています。特にあすか先輩が「答えはNO」と言ってからの一連の表情には、彼女たちの心を移したような影がぱっきりと掛けられていくのでと

    『響け!ユーフォニアム2』10話 心の屋根とカメラワーク、そして零れ出す感情の光 - Paradism
    Pasta-K
    Pasta-K 2016/12/09
    この記事が解説している通り、演技も然ることながら、光源と影の使い方やカメラワークがそれをさらに引き立てていたよなぁ。 #anime_eupho
  • 『響け!ユーフォニアム』 8話の演出について、そしてスカートは翻る - Paradism

    「その美しさに惹かれ命を落としてしまう気持ちというものは、こういうものなのだろう」。そう語る久美子の心情が「私は今、この時なら命を落としても構わないと思った」と言い切るまでに変化する様子を捉えたBパート終盤。それはまるで久美子の瞳に映る世界をありのままフィルムに収めたかのように感情的で、とても煽情的な、まるで「夢でも見ているかのような」映像そのもののように思えました。 それも「特別になりたい」と語る麗奈の心は未だ見抜けないままにあって、その心意気を帯びた姿に類稀な美しさを感じたそれは、久美子の心情そのものでもあったのだということ。 星々が輝く夜空の如き夜景でさえ、彼女を前にしては決して主役には成り得ない佇まいと美しさ。それも黄前久美子という一つのフィルタを通して観れば「自らの命と等価である」とまで思わせる程に、それはとても魅惑的な存在であったということに他なりません。久美子の心を覗くよう

    『響け!ユーフォニアム』 8話の演出について、そしてスカートは翻る - Paradism
    Pasta-K
    Pasta-K 2015/05/31
  • 『けいおん!』11話にみる高雄統子演出について - Paradism

    約5年振りに観返した『けいおん!』11話。澪と律が喧嘩する話としてもかなり有名な話ですが、その妙にリアルで冷たい空気を感じさせるこの回も私自身の中では大分トラウマとして記憶されていたためか、当時から今一歩「観直そう」という気持ちには至れていませんでした。けれど「今観ればあらゆる印象が大きく変わって観えるのではないか」と背中を押して貰えたのもあり、久しくこの挿話を観てみることにしたわけですが、その通りでした。 それこそこの話ってトラウマなんて言い切れてしまう程、ひどく辛さに満ちた話でもなければ、その画面から滲み出ていたのは決して冷え切った印象だけではなかったんです。むしろ、この挿話を観終え新たに得ることの出来た「この世界はこんなにも優しかったんだ」なんていう印象のお陰で、今はたくさんの幸せで満たされているような気さえしています。 それも一言に言い換えるのであれば“誰かが誰かをみつめる視線”

    『けいおん!』11話にみる高雄統子演出について - Paradism
    Pasta-K
    Pasta-K 2015/01/27
    らき☆すた22話は神
  • アニメにおける腋描写の美学 - Parad_ism

    アニメ雑感人それぞれ趣味趣向というものはあるはずで、中でも局部的なフェティシズムに心擽られた経験があるという人は、そう少なくもないのではないでしょうか。それこそ例えれば、指先や踝(くるぶし)、首筋から襟足と多岐に渡るフェチポイント、そうした各所が魅せる輪郭線は人により時に美しく、また艶めかしくも映るもので、そうした女性特有のラインに胸をトキメかせた体験のある男性って結構多いと思うんです。 そして何を隠そう、私は 『腋』 が好きです。大好きと言っても過言ではないくらいに結構アニメ観てる時は腋の辺りを気にして観ています。けれどそうは言ってもただ画面に腋が映っていれば良いというものでも決してなく、そこには私なりの拘りとか美学みたいなものが少なからずあるわけで、それこそ乱雑な腋の魅せ方は余り好みではないですし、その善し悪しを決める境界の自論も簡潔に言ってしまえば以下のツイートに集約されてしまうのだ

    アニメにおける腋描写の美学 - Parad_ism
    Pasta-K
    Pasta-K 2014/04/18
  • 新海誠監督から見る風景『クロスロード』 - Paradism

    先日公開された新海誠監督による短編アニメーション『クロスロード』。Z会のCMのために制作されたこの映像ですが、そこに込められた祈りのような想いは一貫して新海監督の根底に根付いたものを繊細に切り取ったフィルムであったように思えます。 特に120秒verにおいてはその冒頭に、そして15秒、30秒verにおいても同様にその主題として置かれた 「遠くにいきたい」 という熱の篭る言葉*1。『ほしのこえ』や『雲のむこう、約束の場所』から辿れば全ての作品において描かれていたであろう“遠くを見据える”ことへの美学、そして“夢に向かい手を伸ばす”ことの尊さを、僅か2分弱で描き出してみせた『クロスロード』は言うなれば監督自身の祈りや願い、夢そのものの象徴でもあったのだと思います。 それも言うなれば“叶うことはないだろう”と思わせたこれまでの物語の数々(それは例えば、『ほしのこえ』 における恋人との再会であった

    新海誠監督から見る風景『クロスロード』 - Paradism
    Pasta-K
    Pasta-K 2014/03/01
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