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ソ連に関するPopStarのブックマーク (3)

  • ソビエト時代のプロパガンダポスターを翻訳してみた

    まず、プロパガンダポスターとはなんぞや?ということで簡単に説明したいと思います。 プロパガンダポスターはソビエト政府が国民の意識を扇動するため、その名の通りプロパガンダに使われていました。 テーマは年代により主流が異なるのですが、主に人間の価値観、自由、平等などを表したものが多いです。 更に細かく内容を見ていきますと下記のような内容になります。 レーニン、スターリンなどの権力を示すもの。 学校などの教育に使うもの。 アルコール反対運動 (その延長として)お茶を飲もう!など。 資主義反対 社会、労働者、労働などを褒め称えるもの。 火の用心などの生活関係 その他(広告などもあり) 簡単に説明すると異常のようなものがソビエト時代のプロパガンダポスターです。 デザインはユニークで今でも通用するような斬新なデザインなものが多く、ロシア好きの方なら一度は見たことがあるかもしれません。 今回はこのポス

    ソビエト時代のプロパガンダポスターを翻訳してみた
    PopStar
    PopStar 2015/05/13
    ロシアアバンギャルドは素晴らしい。抑圧されると芸術家はいい仕事をするのか
  • 「戦争、二度としてはいけない」=シベリア抑留の元少年兵—過酷な経験、後世に - WSJ.com

    太平洋戦争終結から15日で68年。当時、中国や東南アジアなどの戦線に赴き、現在も高齢を押して過酷な経験を後世に伝えようと活動を続けている旧日軍の元兵士らに話を聞いた。「憲法9条は絶対に守るべきだ」。絞り出した声が重く響いた。 1944年12月に19歳で旧日軍に召集された加藤正寿さん(88)=東京都文京区=は旧満州(現中国北東部)で終戦を迎え、そのままシベリア(現ロシア東部)に抑留された。約3年4カ月に及ぶ抑留生活の末復員したが、仲間の多くは厳寒の地で命を落とした。加藤さん自身も、共産圏から帰って来たという理由だけで、長い間、就職先も見つからなかった。10年ほど前から、都内の小学校などで自らの戦争体験を伝えている加藤さんは「『国のため』と言われ戦地に行ったのに。戦争なんか、二度と起こしてはいけない」。そう語気を強めた。 終戦間際の45年8月、旧満州で上官から「あす、ソ連(現ロシアなど)が

    PopStar
    PopStar 2013/08/10
    シベリア抑留=共産主義者疑惑から十年間就職できなかったそうだ。公安が全員をマークした、という話もあった。
  • スターリン大粛清、新たに日本人4人の銃殺判明、犠牲者26人に 欠席裁判 スパイ容疑…格好の標的+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    【モスクワ=遠藤良介】旧ソ連の独裁者、スターリンによる1930年代後半の「大粛清」で、当時のソ連に滞在していた日人4人が銃殺刑に処せられていたことが、ロシアの人権擁護団体「メモリアル」のとりまとめた資料から新たに判明した。専門家によると、大粛清での犠牲が確認された日人はこれで26人となった。共産主義に共感してソ連入りした日人がスパイ容疑をでっち上げられ、虐殺の嵐に巻き込まれた構図が資料から改めて浮かび上がった。 メモリアルはこのほど、スターリンが直接、粛清を裁可した約4万3500人の名簿を各種の公文書や地方の記録を基に作成。この中から日人10人に関する情報を抽出し、産経新聞に提供した。大粛清の日人犠牲者について調査している加藤哲郎・一橋大名誉教授によると、これにより日人4人が銃殺され、1人が収容所内で死亡していたことが新たに確認された。 犠牲者5人が居住していたのは、モスクワに

    PopStar
    PopStar 2013/04/18
    「日本人のうち無傷で生還したのは野坂参三くらい」 野坂はその実態を公表することなく、墓に持っていった。フルシチョフにも同じような逸話がある。世渡り上手。
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