久間章生防衛相は、米国による原爆投下を「しょうがない」とした発言について陳謝し、事実上撤回しました。でも、そう発言するに至った久間氏の歴史認識に関しては、このブログのコメント欄でも、たくさんの方が意見を述べていて、批判も多かったようです。コメント総数は2日午前10時現在で約140(私の返事も含めてですが)に上っており、この原爆投下とソ連の対日参戦の経緯についての関心の高さが分かります。この二つは日本が歴史上、経験した最悪の事例でしょうから、当然でしょうね。 私は14年前の社会部時代に、社会部、外信部、文化部からメンバーを集めた「日ソ問題取材班」の一人として、このソ連の参戦の経緯を取材していました。まだ入社4年目の若手でしたが、終戦当時を生きたさまざまな人や研究者らから話を聞いたり、あるいはソ連側の非公開公文書を保有している人物の好意でごっそり資料をもらったりで、充実した記者経験ができました
本日は、疲れ気味の上にすでにアルコールがけっこう入っていて、まともなことは書けません(いつも?)ので、とりあえず、皆さんに判断材料・資料を提供できればいいと思っています。きょう、久間章生防衛相が米国による日本への2発の原爆投下について、「しょうがない」と述べた件に関してです。以下、千葉県柏市で行われた久間氏の講演のうち、関連部分をお伝えします。 《久間氏 ソ連、中国、北朝鮮と社会主義陣営、こっちは西側陣営に与したわけだが、欧州はソ連軍のワルシャワ条約機構とNATO軍が対立していた。そのときに吉田茂首相は日本はとにかく米国と組めばいいという方針で、自由主義、市場原理主義を選択した。私は正しかったと思う。 これは話は脱線するが、日本が戦後、ドイツみたいに東西ベルリンみたいに仕切られないで済んだのは、ソ連が侵略しなかったことがある。日ソ不可侵条約(※正しくは日ソ中立条約)があるから侵攻するなん
占守島(しゅむしゅとう)は、千島列島北東端の島。ロシア名はシュムシュ島(о.Шумшу)、英語表記はShumshu。ロシアが実効支配しているが、日本側はサンフランシスコ条約締結以来、国際法上は領有権の帰属は未確定と主張している。 現在の島民は灯台守だけで民間人はいない。また島への上陸はロシア国境軍の許可が必要で、ペトロパブロフスク・カムチャツキーからヘリコプターで約2時間かかる。 地理[編集] 占守島の地図 昭和29年のロパートカ岬・占守海峡・占守島・幌筵島・阿頼度島・志林規島 占守島の国端崎灯台 放棄された飛行場の鳥瞰図 占守島の海岸とウ。左奥に幌筵島の柏原付近が見える 南西から北東へ約 30 キロメートル、幅は最大で 20 キロメートルの大きさで、全体的に楕円形の島である。北東のカムチャツカ半島のロパトカ岬とは占守海峡(ロシア名:第1クリル海峡 Первый Курильский пр
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