ブックマーク / end-of-scan.hatenadiary.jp (11)

  • #23「境界面上のシュタインズゲート」 - end-of-scan

    先々週くらいにふと録り貯めしていたシュタゲを見始め、あまりの面白さにiPhobe版を買って全クリしドラマCDαを聴いたのが先週のこと。しかしTrueエンド前の23話は正直あまり期待していなかったのでした。しかしそんな諦めも吹き飛ばす神展開。何回見返したことか。 23話のカタルシスは、自分自身からオペレーションの指令を受ける、という点につきます。「鳳凰院凶真」が「機関」に抵抗する同志と電話で連絡をとるという「設定」が真実になっている。SERNの襲撃を受けて以降、岡部は紅莉栖や鈴羽の協力を得ながらβ世界線に戻るというミッションを遂行していった。しかし、物語の最後、困難に挑む同志は自分自身のみ、という展開。アニメ版は、限られた尺で、それを十二分に描きつくしたと思います。C204の語源、「シュタインズゲート」の意味をオペレーション説明の直前に持ってきたのはそのため。「シュタインズゲート」という言葉

    #23「境界面上のシュタインズゲート」 - end-of-scan
    REBEKKA
    REBEKKA 2011/09/12
    後半からより話が面白くなって行ったと思う。最終回が楽しみ。
  • 「まどか☆マギカ」の決断の行方 - end-of-scan

    前ふり 「魔法少女まどか☆マギカ」と「仮面ライダー龍騎」が似てるね、という話は早い段階からありましたよね。7話だったか、魔法少女はゾンビも同じ、という杏子の言葉は、上位システムによって使役される英雄を描く「龍騎」や「Fate」を即座に連想させるものでした。こういった《物語的ゾンビ》をの行方を描く同時代作品は何処を目指しているのだろう、という問いが私の中にあります。 あと、10話のほむらは、時かけ、リトバス、などなど、「最後に残った道しるべ」を求めるループものと同じといえますね。宇野さんの言う決断主義のひとつの典型だと感じているのだけど、「ゼロ年代の想像力」を読んでないので実は違うかもしれない。ただ、ゼロ年代以降のループものは、過去の輪廻転生ものと明らかに違う何かを我々に問いかけている。それは何なんだろうという問いが私の中にあります。 まじめに周辺作品を調べてる暇もないので、思いつくままに書

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    REBEKKA 2011/03/29
  • 「面白い」が殺したもの - end-of-scan

    関東に来て10年になるが未だに馴染めない(そして絶対に馴染みたくない)言葉が「面白い」だ。 「paraseleneくん、面白いね」と言う時、何を面白いと思っているのだろう。この「面白い」は"interesting"でも"amazing"でも"inspiring"でもなく"curious"だ。概ね嘲笑ぎみに発せられるこの「面白い」は、あなたを珍奇というカテゴリーに分類しますというレッテル貼り宣言になっている。丁度、養老先生の「バカの壁」状態だ。相手を卑下するとき関東では「バカ」を使うが、関西では「アホ」を使う。「アホやなぁお前」という言葉は、あなたを突っ込み対象にするぐらいの意味だ。突っ込み内容は人によって異なる。関西ではアホな人がどのようにアホか識別する突っ込み能力がリテラシーとして文化に組み込まれている。アホの違いを愛するのが関西である。一方で、関東でバカの違いを区別することはしない。「

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    REBEKKA 2008/06/11
  • アキバの事件 - end-of-scan

    万世橋から中央通りに歩いていると、旧サトームセンの細い通りでものすごい怒号と人がもみあうような姿が見えた。道路に警官がうずまって倒れていた。金髪のにーちゃんが殺気立って壁の誰かに怒鳴っていた。人の垣根越しに見てもこれはやばいと思ってその場を離れたら、ソフマップ前の交差点がえらいことになっていた。4人ほど交差点の中で倒れていて、折れた傘や所持品が散らばっていた。それぞれを1人か2人かが介抱していた。丁度信号待ちするように立っている人の列はみんなケータイのカメラを向けて撮っていた。まだ救急車も警察の増援も来ていなかった。介抱していた男の人が、遠くの警察の車に「もっと近くまでこれないのかよ。はやく介抱しないと」と怒鳴っていた。介抱はできないし野次馬していても邪魔になると思ってその場を離れた。店に入って出てくると、交差点に赤いランプが数多く回っていた。 今確認したところ、既に3人の方がお亡くなりに

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    REBEKKA 2008/06/10
  • ライラの冒険・黄金の羅針盤 - end-of-scan

    冒頭からのライラが街を駆け回り、大人の陰謀に対して立ち向かう様は実に冒険活劇っぽくて、パヤオアニメで見てみたいなぁと思いながら読んでいた。やがて話の幅が広がり、いろんな設定が出てくると、実にハイファンタジーしてるなぁと思いながら読んでいた。あるいは色んな二次展開を見てみてぇと。ファーダーxセラフィナの同人とかあったら絶対買うよ。 同時に、これが「指輪物語」と同様に、我々の世界を映し出す正しい意味でのファンタジーであるんだなぁと、考えながら読んでいた。「指輪」が50年も前の現実世界を映し出す鏡だったのに対して、「ライラ」は今を映し出す鏡になっている。我々のこころの問題をひとつ(あるいはふたつ)の物語世界に投影しようとしている。それを、あるときはライラの視点で力強く、あるときは無慈悲に描き出す(「引き裂かれた子供」は「引き裂かれた自己」を連想する)。 後半になるとその色が濃くなる。ダストの説明

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    REBEKKA 2008/03/05
  • 2008-03-05

    今の著作権法の著作者人格権は強すぎて問題があるのは確か。でも、表現したい人は確かに作品に自分の一部を投影しているわけですよ。じゃあ落としどころはどこかってことだろ。CCでクリアできる場合は多いだろうし、それでも問題があるかもしれない。もしmixiがCC普及に役立ったり、クローズドなコミュニティと公的な場所との間のコンテンツの扱いについてのモデルケースになれば、それはとても素晴らしいことだと思う。 売り言葉に買い言葉な論法では冷静な議論にならないですよね。「敢えて」水を浴びせているのかもしれないけど、それでも議論を断絶させる方向に働くと思われ。結局、「溝は深いよねー」なんて思考停止に陥って先に進めなくなる。極論を言ってても話はすすまねぇってことですよ。極論に対して極論で返すことで議論が停止する状態をネットのあちこちで見る。そういうのはもう飽き飽きなのです。 ところで、mixi規約改定に反対す

    2008-03-05
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    REBEKKA 2008/03/05
  • 「おおきく振りかぶって」8巻 - end-of-scan

    試合の盛り上げ方がいいねぇ。過剰演出に走らず、すとんと腑に落ちる感じ。とくに田島の打席に入ってから打つまで変にためないところが好き。 今回とくに印象深かったのは、みんなが三橋んちに行ったときに、阿部や花井が三橋に対して今までよりも強く「むかつく」と思っているところ。泉とか他のチームメイトたちは絆が強くなって、互いに細かいことまで気がつくようになっているのに、三橋の場合距離が近づいたことで負の感情が強くなっている。 最終回、自信がなくても投げたがる「投球中毒」の三橋の意地は「むかつく」彼の性格と表裏一体だというのが、試合の前後でよりくっきりと浮かび上がってくる。なんとなくスタージョンの作品を思い出した。キモメンが世界でサバイブしていくためには、ひとつのことにすがるしかない。たとえそれがささいなことであっても。 かつて、スタージョンを評した私のエントリーのうち、「イケメンのくせにこんなにキモメ

    「おおきく振りかぶって」8巻 - end-of-scan
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    REBEKKA 2007/09/28
  • Think the difference - end-of-scan

    他人と違うものの考え方をするのはカッコいい。Appleの有名な広告"Think Different."は、正しい文法では"Think differently."だ。しかし、違いそのものについて考える人はほとんどいない。 10年以上ネットで無数の人の言い方や考え方を見てきた。NetNewsの碩学な先人たち、先モヒカン族の何人かは、他人との議論の中で違いを明らかにし妥当性を判定するという思考法をとっていた。しかし、自問する形で違いに積極的に目を向ける人は少なかったように思う。Niftyのパティオ、2ちゃんねる、ブログは、独り言の応酬でしかなく、乱暴なくくり、煽り、厨な断言のぶつかりあいになっている。今や、違いについて語っているのを見ることはまずない。 これまで、思考法を勉強したことのない人が多いだけなんだろうと思っていた。実は、気づかないふりをしていただけなのだが、もう目を背けるわけにもいかな

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    REBEKKA 2007/03/21
  • Webの明るさと小説の暗さ - end-of-scan

    「総表現社会において表現できないもの - END_OF_SCAN」、あるいは過去のエントリーで何度か書いた、文章とWebの関係について。 僕はノートの真ん中に1の線を引き、左側にその間に得たものを書き出し、右側に失ったものを書いた。失ったもの、踏みにじったもの、とっくに見捨ててしまったもの、犠牲にしたもの、裏切ったもの……僕はそれらを最後まで書き通すことはできなかった。 僕たちが認識しようと努めるものと、実際に認識するものとの間には深い淵が横たわっている。どんなに長いものさしをもってしてもその深さを測りきることはできない。僕がここに書きしめすことができるのは、ただのリストだ。小説でも文学でもなければ、芸術でもない。まん中に線が1だけ引かれた一冊のただのノートだ。 村上春樹「風の歌を聴け」 Webでは、リストがリストのまま放置されることはない。ソーシャルブックマークやRSSなどのWeb2

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    REBEKKA 2007/01/30
  • 魔法先生ネギま!17巻 がスゴイ - end-of-scan

    16巻については、"Something Orange"の海燕さんが気合の入ったレビューを書いていて、まったくその通りだと思っていたんだけど、17巻、とくに「157時間目 正義は何処に!?」と「158時間目/誰もが未来を背負っている!」はさらに上を言っている。 いちおうネタばれ回避スペース。 魔力によって瞬間的な過去や未来に跳べる航時機をともに持つネギと超の戦いはもしかしたらマンガでしか表現できないかもしれない。この戦闘のアイデア、過去にもあるのかもしれないけど、私はやられました。 それ以上に、未来をよい方向に改変しようとする超と戦う理由がなくて迷うネギと夕映のやり取りにはやられた。 夕映「もはや……自身が正しいと思い込むことなどで……これ以上……一歩も先へ進めるハズはないのです!!」 は、多くの少年漫画あるいはゲームが拠り所としてきた、「強い想いがあれば願いがかなう(何をやっても許される)

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    REBEKKA 2007/01/30
  • 世界の何をconfigするのか - end-of-scan

    会合でモロッコにいます。この文章を書いたのは夜中の2時。英語で変なプレゼンする夢を見ました。出張中だからか、ハシシでも吸ったか、ともかく面白かったので内容を記しておきます。 コバルトブルーの海が見える会場だった。演壇では高名な画像符号化の研究者がえらい壮大な話をしていた。私は後ろの方の席で、うつくしい海を見ながらぼうっとそれを聞いていた。講演が終わり、うだうだと周囲と話をしていると、進行が次の講演者は私だと呼んだ。私の発表は次の日の予定だったが、他の講演者の都合で順序が変わったらしい。 発表の準備を全然していなかった。プレゼン資料を作った憶えは確かにあるが、どんな内容を喋るのか全然判らない。ともかく演壇にあがり、前置きを引き伸ばしながらどうまとめようか必死に考える。進行がそろそろ始めろとせかす。 最初数枚のプレゼンには、さまざまな進化と情報の爆発の絵が描かれていた。それからゼノンのパラドッ

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    REBEKKA 2007/01/24
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