『嫌オタク流』の一つの章には、「萌えは「10歳児のためのポルノ」」というものがあるらしい。 刺激的なタイトルではある。だが、その中身はそれ以上でもそれ以下でもないだろう。 週刊誌の中吊り広告と同じだ。 ――だとすれば、それはあまりにナイーブな批判ではないだろうか。 もちろん、「暴露!暴露!暴露!誰もが口をつぐんだ「真実」を今ここに白日の下にサラシてみしょう!いざいざ!」というテンションの景気良さはわかる。 「自意識過剰なオタク」に冷や水を浴びせて、自らが「高み」にあることを確認して悦に入ろうというのもわかる。 だが、それでも「批評」だというのであれば、ベタなテクスト批判をして「ハイ出来上がり」という地点で収まるのではなく、批判的検討の果てに見えてくる地平を提示できてこそ、批評足りえるのではないのか。 たとえば、「萌え」が「10歳児のためのポルノ」であるとして、それを「暴露」したところで、な
長年というほどでもないが、積もっていた疑問が氷解した。 大変攻撃的な文章なのでご注意を。批判上等。 オタクという言葉は便宜的に使っただけです。 具体的にはエロゲー*1であるとか萌えアニメであるとかに共感したり好きだったりする人のことです。 自分はそういったものが好きではないし、好きではないのでお金を出してそれを買うということもありません。 何故そうなのか分かったのです。 具体的には「現実の女性からの逃避」ということ。 (どうでもいいですが、いつか「電波男」を読んでみようと思います。きっと批判すると思うけど。) 「萌えアニメ好きだけど彼女いるよ(いたよ)」という人は皆無です。 自分も迷走していた時期があったので、少しはやりました。エロゲーの類も。 もっともまともにやったと言えるのは「同級生」の2だけだけれども。 「同級生2」をやって思ったのは「俺も彼女欲しいなぁ〜」ってこと。 そしてもう一つ
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