『嫌オタク流』の一つの章には、「萌えは「10歳児のためのポルノ」」というものがあるらしい。 刺激的なタイトルではある。だが、その中身はそれ以上でもそれ以下でもないだろう。 週刊誌の中吊り広告と同じだ。 ――だとすれば、それはあまりにナイーブな批判ではないだろうか。 もちろん、「暴露!暴露!暴露!誰もが口をつぐんだ「真実」を今ここに白日の下にサラシてみしょう!いざいざ!」というテンションの景気良さはわかる。 「自意識過剰なオタク」に冷や水を浴びせて、自らが「高み」にあることを確認して悦に入ろうというのもわかる。 だが、それでも「批評」だというのであれば、ベタなテクスト批判をして「ハイ出来上がり」という地点で収まるのではなく、批判的検討の果てに見えてくる地平を提示できてこそ、批評足りえるのではないのか。 たとえば、「萌え」が「10歳児のためのポルノ」であるとして、それを「暴露」したところで、な