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どうやら降伏論界隈、「ロシアの死者についてはプーチンに責任があるし、ウクライナの死者についてはゼレンスキーに責任がある」というハイコンテクストで逃げる模様か。
ウクライナ降伏論が無責任に聞こえるのは、いちにかかってその後に起こりうる事態への責任を取ろうとしないからだね。「今自分がテレビに映ってる悲劇をこれ以上見たくないから」という裏の意図は、まるで夫の鉄道模型を勝手に処分する主婦のような身勝手さがある。(「これ以上見たくない」が共通)
たとえばあなたが中世の農民だとして、どれほど労働して農産物の収量を上げたとしても、それをそっくり領主が持っていくというなら、あなたは真面目に働こうと思うだろうかということでもある。小作人の場合で、地代が現物でなく現金の場合、農産物の価格が高ければ労働にはメリットが出てくるが。
保育士や介護士の低賃金は、「本来はお母さんがやればタダで済むのに」とか「本来は長男の嫁がやることで、それにカネを払うのはおこがましい」という意識が残滓となってあるせいだろう。
キモくてカネのないおっさんというのは、2005年の朝生で森永卓郎が指摘した、「お金を持っているキモメンというのは救われるんですよ。それからお金を持っていないイケメンも救われる。ところが世の中の男の大部分はお金の無いキモメンなんですよ。これをどうやって救うのか」に連なる話なんだ。
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