ブックマーク / diary.lylyco.com (8)

  • ぼくはいつだって正しい|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ぼくはいつだって正しいことしか書かない。 当たり前だ。書きながら間違っていると思ったら、普通なら、そのまま書き続けたりはしないからだ。けれども、書き終えてのちに再読し、「ああ、あのときのぼくは間違っていた」と思うことはある。今度は、「あのときのぼくは間違っていた」と思っている自分こそが正しいと思っている。だから、やっぱり現在進行形のぼくは正しいということになる。つまり、ぼくの「正しい」にはいつだって(現在進行形のぼくにとっては)という但し書きがつく。間違っていると知りつつ書くとすれば、それは何か特殊な目的があるか何か特殊な精神状態に陥っているかのいずれかだろう。 たとえば、誰かを陥れるために思ってもいない言葉を書き連ねる。ブログでアクセスが欲しいためにセンセーショナルな釣り記事を書いてみたり、何か下心があって内心好きでもない人に取り入るための提灯記事を書いてみたり、衆愚の反応を見るための実

    ROYGB
    ROYGB 2009/06/13
    と森博嗣風の印象。発言だけでなく、行動に関しても適用可能。すべての行動は、その人がやろうと思ったことだ。やらないことは、やりたくないと思ったこと。
  • まやかしではない「真の結果平等」を夢想する|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    人間が求める「結果」とは何か? 人による。それが最終的な回答だろう。たとえば、共産主義的なものを一種の「結果平等」と捉える人がいる。ありていにいえば、商才ある人もそうでない人も頑張った人もそうでない人も、みんな押し並べて平等に富が分配される。そういうものを「結果平等」とする考え方である。そうだろうか。違うだろう、とぼくは思う。それはただの「機会平等」である。何故なら、そのとき分配されるのは、数多ある生きる資源のひとつであって目的ではないからだ。それをどう使ってどんな結果を得るかが問題なのである。その意味で「富」は「知識」やなんかと同じレイヤーに属する。 いわゆる「機会平等」というのは、より良く生きるための「条件」をできる限り平均化することで、各自が人生におけるなにがしかの成果を「平等に」目指せる環境を作ろうという考え方だろう。そこから先は、個々人の才能や努力や運で各々目指す「結果」を手に入

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    ROYGB 2009/06/04
    「神の前ではいかなる不平等も存在しない」とかいう話を連想した。
  • 友だちが友だちでなくなるとき|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    そもそも友だちというのは、よく分からない胡乱な人間関係だと思う。 学校の同級生にしろ職場の同僚にしろ、一定期間否応なく顔を合わせ続ける。結局のところ、これがいちばん効く。もちろん、毎日顔を合わせていれば友だちというわけではない。明確な定義はできないけれど、「あえて」繋ぐ関係が友だちかな、とは思う。同級生や同僚と毎日会うというのは環境だ。でも、放課後いつも一緒に帰って遊んだり、転職してもよく会って飲んだりするのは「あえて」することに違いない。「あえて」一緒にすることの「積み重ね」が、友だちでい続けることの糧になる。それができるかどうかも、運とか偶然とかそういった要素が大きいように思う。 大人になるにつれ、友だちはできにくくなる。そんな話を時折耳にする。個人的な実感としてはよく分からない。確かに、そうしたことに割ける時間は少なくなった。ただ、ぼくは子供の頃から友だちはそう多い方ではなかった。ぼ

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    ROYGB 2009/05/12
    恋人の場合は自然消滅があるけど、友達の場合には自然消滅はあまりなさそう。
  • ぼくたちが読んだ本の冊数を競うワケ|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ・文系の人って読んだの冊数を競うけどなんで? それはぼくたちが広い意味でコレクターだからだと思う。 たとえば、ミニカーを集めている人たちがいる。彼らはきっと自分のコレクションを自慢したいはずだ。そりゃあ、世の中には金にものをいわせて自分なんか足元にも及ばないミニカーコレクションを持っている人だっているだろう。それでもやっぱり、自分でコツコツと集めたコレクションは愛おしい。その愛を、努力を、素晴らしさを褒められて嬉しくないわけがない。ついつい、自慢げにコレクションを披露してしまう気持ちをぼくは批難する気にはなれない。ミニカーなんてくだらない。そんな風に切り捨てることは、あらゆる個人の価値観を否定することでもあるからだ。 たとえば、未開封のガンプラを集めている人がいる。すると、「作ってこそ価値がある」なんてもっともらしいことをいう人が出てくる。これもまた、個人の価値観を否定する発言である。モ

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    ROYGB 2009/03/05
  • オンライン上で友だちを作るあまりにも簡単な方法|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    実のところ、友だちとは「なる」ものではなく「思う」ものである。 ・オンライン上で友達が欲しいと、思い続けて早幾年 だから、この匿名氏は「友だちができない」のではない。オンラインで関係した人を「友だちと思えない」だけのことである。匿名氏が友だちだと思えていないオンライン上の誰かは、匿名氏のことを友だちだと思っているかもしれない。友だちとはそういうものだ。もちろん、互いに「友だち同士」だと認識し合っているケースもあろう。が、それとて「友だち」を同じように定義している保証はない。ある人は「一度でもタメ口を利いた人は誰でも友だちだ」と思っているかもしれないし、ある人は「休みの日に1対1で遊んだ人はみんな友だちだ」と思っているかもしれない。 このくらいのことは、多くの人が一度くらいは考えたことがあると思う。そして、自分が現実に友だちだと思っている人を何人か思い浮かべてみれば、無意識に自分が定義してき

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    ROYGB 2009/02/26
  • 草食系男子を真面目に語るのが虚しいワケ|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    結論からいえば、血液型占いや動物占いレベルの類型化遊びでしかないからである。 草系男子というのは一種の「あるあるネタ」だろう。そういう人いるよね、という(脳内の)類型にうまく面白い名前を付けてみせた。それが「U35男子マーケティング図鑑」の功績のすべてじゃないかと思う。いわば、夙川アトム演じる「業界人」がカリカチュアとして愉しむものであるのと同じように、深澤真紀が妄想した「草男子」も「うわあ、そういう男いそう!」といって愉しむための虚像でしかない。夙川アトムのキャラ芸をベースに業界人論などやっては笑われよう。草(系)男子で若者論などやるもの同様にバカバカしい。あれは印象論を面白く語る筆芸である。 草というのは要するに、「据膳をわない」という性質に付けられた名前である。そこから先はキャラクターの肉付けでしかない。「据膳わない男って○○だよね」という虫いに「あるあるネタ」で答える

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    ROYGB 2009/02/26
  • 婚約指輪に価値はあるのか?|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    婚約指輪を買った。 きっと、結婚指輪も買うだろう。こういうものについて金額の話をするのは無粋である。が、それでは話が先に進まない。とりあえず、全部合わせれば、おそらく100万円はくだらないはずである。安いと思う人には安く、高いと思う人には高い買い物だろう。平均年収以下で生きているぼくにとっては、残念ながら、それなりに高いといわざるを得ない。特にお金に余裕があるわけでもないのに、新生活を始める前に100万円以上の散財をする。とても合理的とはいえない。当然、それだけ新生活にかけるお金を削ることになるだろう。ない袖が振れないのは仕方のないことである。 それじゃあ、ぼくがこの散財を馬鹿馬鹿しいと思っているかといえば、そうでもない。何故なら、そうと分かっていて欲しがるということは、彼女にとってそれは新生活にかける100万円以上に価値があるということだからだ。それは、ぼくにはよく理解できない価値観であ

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    ROYGB 2009/02/23
    婚約指輪を男性から女性に贈った場合は、女性からも何か記念の品を渡すことも多いよう。
  • 「やらない」いい訳と責任と罪|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    何かを「やらない」ことに理由は必要だろうか。 ・寄付の依頼が来た - レジデント初期研修用資料 ・「あなたのやり方が悪いので私は動員されません」という責任回避 - E.L.H. Electric Lover Hinagiku 必要なときもあるだろう。たとえば、しなきゃいけないことをしないとき。或いは、人の勧めや誘いを断るのに相手を気遣うとき。つまり、「あえてやらない」ことを選択するとき、といってもいい。そんなときは、理由があった方が座りがいい。けれども、来、何かをやらないことは、選択ですらないことの方が多い。ぼくが生八橋をべないことに理由はない。強いていうなら、べようと思ったことがないからだ。こんな理由は理由ですらない。つまり、ぼくがインド旅行をしないことにも、シシカバブを作らないことにも、セックス相手を亀甲縛りにしないことにも、特段の理由はない。 けれども、微妙なケースというのはあ

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    ROYGB 2008/12/08
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