●ラカンにおいて、精神分析医が患者に対してとる位置には三つの段階がある。最初に、「知っていると想定される主体」として、次に「対象a」として、そして最後に「もの」として、患者に対する。それぞれが、象徴的な他者、想像的な他者、現実的な他者、に対応する。最初に、象徴的な他者として患者に想像的な場への退行をうながし、次に想像的な他者として患者を現実的な場へ促す。最後に「もの」としての分析医が、「知っている主体」を患者の無意識へと返すことで、分析は終了する。もとよりこれは理論的な枠組みとしてであって、これが実際に可能なのかどうかは、よく分らないけど。 精神分析は形而上学を否定した。精神分析によれば、真理も正義も理念も、全て失われた「母親との完全な合一」の代替物であるということになる。そして人は、意識(言語)の場にいる限り、このことに永遠に気付かない。だが、この「母親との完全な合一」ということ自体が、