ハイムリックが初めてこの方法について述べたのは、医学誌 "Emergency Medicine" へ1974年6月に掲載された、"Pop Goes the Cafe Coronary"(意味:弾みでコーヒー冠動脈疾患に[注釈 4])と題されたインフォーマルな記事でのことだった。同じ年の6月19日には、『シアトル・ポストインテリジェンサー(英語版)』紙が、引退したレストラン・オーナーのアイザック・ピハが、ワシントン州ベルビューで、ハイムリック法を使って窒息した女性を救命したと報じた[21]。 1976年から1985年まで、アメリカ心臓協会やアメリカ赤十字社のガイドラインでは、背部叩打法が窒息救命の第一選択とされており、これでのどに詰まった異物が取り除けなかった場合にハイムリック法を用いるよう定められていた。1985年6月に開かれたアメリカ心臓協会の会合後、背部叩打法はガイドラインから削除され