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ブックマーク / blog.szk.cc (2)

  • 「盛られた」現実

    とある仕事で、20代の消費者インサイトを探るためのインタビューの分析みたいなことをしていたとき、こんなことを訊かれた。 「この人たち、どうしてこんなに『素になれること』にこだわるんでしょうね?」 実際、家族や地元の友達といるときに「素になれる」と感じるという話は、当たり前のようでありながら、そこには一種独特な言葉のニュアンスというものがある。それは、「素でない状態」をどう表現するかということと関わっている。素=「リラックス」と考えれば、素でないというのは緊張状態だし、「当の自分」と考えれば、その逆は演じている嘘の自分ということになる。だけど「素でいられる」というのは、そういう状態とは少し違うんじゃないかと思う。 結論からいうと、「素であること」の反対は「盛っていること」だと思う。「盛る」という言葉もまた微妙なニュアンスをはらんでいるけど、おおむね(1)普通よりも誇張して表現すること(例:

    「盛られた」現実
  • 選挙の後こそ、民主主義が問われる

    選挙が終わった。というよりは新しい体制での政治が始まるという方が正しいのだけど、ともあれその結果を見て、予想通りだという人もあれば、意外だという人もあるだろう。特に第三極の政策や政権公約に興味があった人の中には、結局のところ自民党大勝という結果に失望した人も多いのかもしれない。みんな党の名前しか見てないんじゃないか、と。 ところで、それよりも気になっていたのは、選挙直前になってネットのあちこちからあがった「選挙に行こう」の声だった。それ自体はとても大事なことだし、勢い余って「選挙に行かない人に政治に口を出す権利はない」とか「選挙に行かない男と付き合うな」なんて話が飛び出すのもまあ仕方ない(どちらも間違った意見だと僕は思うけど)。ただ若年層に関して言えば、近年むしろ政治への関心は高まっているし、昨今の調査ではネットを熱心に見ているのはむしろ30代から40代らしいので、どこまで的に当っているの

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