ゲームの映画化はなぜ失敗するのか? もちろん興行的に成功した作品はあるし、映画として面白い物もある。が、今回はそういうレベルの話ではなく、あくまで「ゲーム」そのものが描かれていて偏屈なゲームファンも納得できる映画化ということで、残念ながらそのレベルに達した映画はまだないといっていい。 一ゲーム好きとしてその理由をたまーに考えているんだが、最近は「主人公を間違えて設定しているから」という結論に達した。 例えば「スーパーマリオ」を映画化すれば、主人公はマリオになる。もちろんこれは当然だが、映画で描かれるのはつまるところ、最終面まで進みクッパを倒し無事にピーチ姫を救出したマリオ一匹(一人?)だけである。が、ゲーム好きなら(いやそうでなくても)分かるとおり、世に生息する大多数のマリオはピーチ姫を救出することなど叶わず、クリボーやノコノコ等の雑魚相手にプレイヤーの単純な操作ミスが原因で無残にも命を落
原題:Atonement 監督:ジョー・ライト 脚本:クリストファー・ハンプトン 製作総指揮・原作:イアン・マキューアン タイプライターがタイトルを打ち出す。 「Atonement」。 やがてタイプライターの音が、音楽と共鳴しあいながら、響いてくる。カメラはやがて一人の少女がタイプライターを打つ姿を映し出す。少女はその文章を書き終え、その紙を持ったまま、早いリズムで屋敷を歩く。母親を捜している。その文章を見せるために。やがて、彼女はある青年とはちあわせにある。「劇をやるんだって?」と青年は、聞く。彼が知っていたことに驚く彼女は、意を決したように「見に来て欲しい」と彼に言う。彼女が書いた初めての戯曲を。 だが、その日。劇は行われることはなかった。その代わり、彼女は、その青年に対して、全生涯をかけてつぐなわなければならぬ、ささやかで、そして大きな罪を背負うことになる。 まず誉める。邦題がすばら
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く