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2020年5月20日のブックマーク (1件)

  • 信州戦争資料センター・倉庫 長野県から伝える戦争の姿:関東大震災で長野県に「不逞鮮人」の話題がどう伝わり、どんな動きがあったか―当時の新聞記事で追う

    大正12(1923)年9月1日に発生した関東大震災の混乱の中で行われた、朝鮮人虐殺。長野県へはどんな情報が流れ、どんな動きがあったのでしょうか。写真は、長野県内の関東大震災第一報となった9月2日付信濃毎日新聞夕刊(1日発行)。当時の信濃毎日新聞で関連記事を探してみました。 <9月4日付夕刊(3日発行)> 最初の朝鮮人関連記事が載ります。「朝鮮人400名捕縛 爆弾を持てるもあり」と見出し。「3日午後3時高崎よりの情報によれば2日午後11時、東京市内の不逞鮮人約400名は捕縛され爆弾若干その他のものを押収されたと」という内容。東京の話を高崎で聞いたという伝聞の伝聞記事で、具体性がありません。 <9月4日付朝刊> 「不逞鮮人脱獄し軍隊と大衝突」という記事が載ります。横浜監獄の「不逞鮮人」が全部脱獄して市内を横行しているので歩兵第34連隊が出動、朝鮮人400人との間に大衝突をしたというもの。衝突し

    信州戦争資料センター・倉庫 長野県から伝える戦争の姿:関東大震災で長野県に「不逞鮮人」の話題がどう伝わり、どんな動きがあったか―当時の新聞記事で追う
    SABAKU
    SABAKU 2020/05/20
    “明快に朝鮮人の暴動行為を見聞して筋が通っている話や当局が発表した事例はないのに、人々の伝聞情報が独り歩きしていた様子が分かります。一方で朝鮮人が暴行されている現場はいくつも明確な目撃談がありました”