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  • サッカーと野球の「監督」は別物【金子達仁】-スポニチワールドサッカープラス

    サッカーと野球の「監督」は別物 【金子達仁】2008年05月01日 かつてフランス23歳以下代表を率い、現在はJFLのFC琉球で指揮を執るジャン・ポール・ラビエ「監督」は不思議そうだった。 「いざピッチに立てば、主役はあくまでも選手。監督にできるのは助言でしかないのだが、日の選手たちは、それを命令と受け取っているフシがあるんだ」 フシがある、ではなかった。FC琉球の選手たちは、彼の「助言」を間違いなく「命令」として受け取っていた。わたし自身「上がろうとしたら怒られた」「下がれと言われたので下がった」といった選手たちの言葉を、数多く耳にしてきたからである。 これを儒教精神に縛られた日人の特性として片づけるのはたやすい。だが、個人的にはどうもそれだけではない気もしている。 たとえば王監督が、星野監督が送りバントのサインを出したとする。これは「助言」だろうか。否、限りなく「命令」に近い指令

  • もっと声を【戸塚啓】│スポニチワールドサッカープラス

    もっと声を 【戸塚啓】2008年04月23日 スタンドで観ているうちに、どちらのための練習試合なのかが分からなくなってきた。4月23日に行われた日本代表のトレーニングキャンプである。 この日、代表チームは筑波大との練習試合を行なった。3-0という結果は「貫祿を見せつけた」と言えるものでなく、内容的にはほとんど見るべきところがなかった。 とにかく静かなのである。聞こえてくるのはGKのコーチングぐらいで、フィールドプレーヤー同士のコミュニケーションは圧倒的に少ない。声を出していたと言えるのは、1目にセンターバックとして出場した闘莉王ぐらいだった。「ターン」とか「出せ」とか「寄越せ」といった声はあったが、ミスを叱責する声はまったくなかった。つまらないミスがあり、判断に誤りのあるプレーも多かったが、改善を求める声はあがらなかった。 3日間の合宿である。次に集まるのは5月のキリンカップだ。与え

  • スポニチワールドサッカープラス:わたしは、北京五輪をボイコットする【金子達仁】

    わたしは、北京五輪をボイコットする 【金子達仁】2008年03月27日 柔道の山下が、メダルを期待されていた体操やレスリングの選手が、涙ながらに訴えていたことを思い出す。不参加を撤回してくれ。スポーツに政治を持ち込まないでくれ。メディアの報道も、選手に同情するスタンスのものがほとんどだったように記憶している。いまから28年前、モスクワ五輪の際の話である。 以来、わたし個人の中にはスポーツに政治が介入することに対する強烈なアレルギーがあったように思う。政治の介入は無条件で悪。それ以上のことを考えたことはなかった。 ならば、チベットでの暴動を機に世界的に高まってきた北京五輪ボイコットの動きも悪なのか。そもそもが中国の国威発揚という政治的な意味合いを色濃く持つイベントに、政治的な事件を理由にボイコットを考える発想は間違っているのか。「政治をスポーツに持ち込むな」という中国政府の反応が正しいのか

    SIK
    SIK 2008/03/28
    ついでにJリーグと代表とその他のサッカー関連の執筆活動もボイコットしていただければ幸いです
  • サッカーで命を落とすということ【海外通信員】│スポニチワールドサッカープラス

    サッカーで命を落とすということ 【海外通信員】2008年03月21日 3月15日、試合観戦のためスタジアムに向かうサポーターたちの乗ったバスに何者かが発砲し、昇降口に立っていた21歳の青年、エマヌエル・アルバレスが銃弾を胸に受けて尊い命を失った。 エマヌエルは、筆者行きつけのヘアサロンのオーナーの一人息子だった。オーナーのウーゴとグラシエラにとっては、結婚から10年後にやっと授かった大切な子供だった。自宅のあるリニエルス地区は、ベレス・サルスフィエルドのベースタウン。エマヌエルは物心ついた頃からベレスの大ファンで、94年にカルロス・ビアンチ監督率いるチームが遠い日の地で天下のACミランと対戦し、トヨタカップを制したときはまだ8歳だったが、生中継を観ていたときの感動を「今でも忘れられない」と筆者に熱く語ってくれたこともあった。 ヘアサロンはブエノスアイレス市内の高級住宅地にあるため、ウ

    SIK
    SIK 2008/03/21
    日本とはレベルが違いすぎるが意識はしておきたい
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