1999年4月に開催されたワールドユース。トルシエ監督に率いられた、79年生まれの“黄金世代”を中心とするU-20日本代表は、ナイジェリアの地で快進撃を見せる。決勝ではスペインに敗れたが、ワールドユース準優勝の功績は今なお色褪せることなく、日本サッカー史に燦然と輝いている。あれから20年――その功績を讃えて「同窓会」を開催。小野伸二、稲本潤一、永井雄一郎、中田浩二、南雄太、酒井友之、播戸竜二の7人が集い、思い出話に花を咲かせた。(2019年4月掲載)
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カンプノウの観客席には「クラブ以上のクラブ」と刻まれている。このモットーはバルセロナが直面した歴史的試練から生まれた 【写真:なかしまだいすけ/アフロ】 バルセロナのファンはもちろんのこと、たいていのサッカーファンはバルサが「クラブ以上のクラブ」(més que un club.)と言われていることはご存じだろう。ここでは、このモットーがいかにして生まれたのか、そしてどのような意味を持っているのか、ということについて書いてみようと思う。 テレビでバルサの試合を観戦した人、あるいは幸運にもバルセロナを訪れて、カム・ノウ(カンプ・ノウは正確にはこう発音する)で試合を見たり、スタジアムツアーに参加したことがある人なら、més que un clubとえんじ色と青で染め抜かれた観客席が強く印象に残っているだろう。「最強のクラブ」とか「世界一のクラブ」とか書かれているのならともかく、「クラブ以上のク
リーガ・エスパニョーラも残り10節。ここまで3位のバレンシアが復権をもくろんでいる 【Getty Images】 2001−02シーズンと03−04シーズンにリーガ・エスパニョーラを制し、00年と01年に2年連続でチャンピオンズリーグ(CL)決勝に進出した頃の栄光は、今や遠い昔のことのように思えるバレンシア。しかしながら、リーグ優勝を果たした2シーズンの第28節終了時点での勝ち点(01−02は50ポイント、03−04は同57)が、今季のそれ(同60)を下回っていたことを、バレンシアニスタ(バレンシアのサポーター)たちはよく覚えている。 近年のバレンシアは返済不可能な負債を抱え、破産の危機に脅かされる中で、ダビド・ビジャやダビド・シルバ、ロベルト・ソルダードら多くのクラック(名手)たちを手放すことを強いられてきた。だが多くのバレンシアニスタは、早くもそういった苦い記憶を忘れ去り、「まだ優勝の
VVVの藤田俊哉コーチ(右)は、デン・ボス戦で日本人フィジオセラピストの中田貴央と出会った 【中田徹】 3月16日のオランダ2部リーグ、VVV対デン・ボスのキックオフまで、1時間を切った頃だった。記者室にメンバー表が配られると、デン・ボスの地元紙『ブラバント・ダッハブラット』のジャーナリストが「アントニーの名前がない!」とすっとんきょうな声を出した。アントニー・ルーリンはヘーレンフェーン、フェイエノールト、ケルン(ドイツ)に在籍した実績もあり、デン・ボスにとっては頼れるベテランFWだった。 デン・ボスのチームマネージャーが「アントニーはハムストリングの負傷が治りきっておらず招集外。今朝テストをしたけれど、“うちのフィジオセラピスト(理学療法士)”が出場の許可を出さなかったんだ」と答えた。 ジャーナリストは「おかしいな。俺、昨日の練習でアントニーを見たんだけどな……」とひとりごとを言い、それ
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