ブックマーク / note.com/tamakisaito (4)

  • 偏見を助長する描写とは何か|斎藤環(精神科医)

    私が作品における精神障害の描写が偏見をあおっていると判断する場合の基準は、次の通りである。 ・そのキャラクターがほぼ匿名の存在として描かれ、きわだった属性として精神障害者であることのみが強調されている。 ・たとえ「診断名」への言及がなくとも、精神障害者であるという認識を誘導する形でステレオタイプな描写がなされている。 ・精神障害者への偏見を強化するようなステレオタイプとは、以下のようなものである。すなわち、暴力的、非理性的、話が通じない、遺伝する、治らない、病識がない、など。 ・精神障害者の犯罪が描かれること自体は偏見を助長しない。犯罪に至る個人的な動機や状況が描写されていれば偏見にはつながらない。だから「ジョーカー」が精神障害者として描かれていても私は批判しない。逆に、犯罪の理由がひとえに精神障害であるかのように誘導する描写は差別的である。 ・以上をまとめれば、「精神障害という属性」を、

    偏見を助長する描写とは何か|斎藤環(精神科医)
    Seiji-Amasawa
    Seiji-Amasawa 2021/11/13
    “「精神障害という属性」を、安易に「悪」や「穢れ」、あるいや「暴力性」や「有害性」に結びつけるような描写を私は問題にしているのである。”
  • 「意思疎通できない殺人鬼」はどこにいるのか?|斎藤環(精神科医)

    7月19日に公開された藤本タツキ漫画「ルックバック」は傑作だった。CSM以来の藤ファンとしては、この作家の底知れない引き出しの多さに驚愕したし、予告されているCSM第二部への期待感がいやがうえにも高まった。とはいえ、私は自分がこの作品のほんとうの素晴らしさを理解できているとは思わない。作は「漫画家についての漫画」であると同時に、これまでになく藤の個人史を投影したとおぼしい作品だ。それゆえ、実際に漫画制作に関わった経験のある人ほど、その素晴らしさを深く理解できるであろう。 私は特に物語後半の「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いてるの?」という問いかけに続く無音のシークエンスがことのほか好きで、そこだけ何度も読み返している。藤野のネームを読んだ京のうれしそうな笑顔、涙ぐむ京にティッシュを渡す藤野、ただ京を喜ばせたかった、という想いが画面全体から溢れ出してくる。藤作品は良く映画的、と言

    「意思疎通できない殺人鬼」はどこにいるのか?|斎藤環(精神科医)
  • エヴァンゲリオン -空虚からの同一化-|斎藤環(精神科医)

    まずはっきりさせておこう、「自分探し」など徒労に過ぎない、ということを。 精神分析、とりわけフロイト/ラカンの教えによれば、人は「語る存在」であるがゆえに、癒やされない欠如を抱えている。人は自らを語りつくす言葉をけっして手にすることはない。人は他者の言葉のネットワークの中に「存在させられる」、それだけだ。そしてここから、精神分析がはじまる。  「新世紀エヴァンゲリオン」(以下「エヴァ」)というアニメーション作品がすぐれているのは、まずこの点だ。主人公・碇シンジの「自分探し」は、結局それが想像的に——つまり擬似的に——解消されるか、あるいは探す行為そのものを放棄する以外には終わりようがないということが、とてもリアルに示されている。だからあの最終二話は、あそこに、あのように置かれるしかなかったように見えるのだ。 ところで精神科医として見る「エヴァ」は、きわめて「境界例」的な作品である。 庵野監

    エヴァンゲリオン -空虚からの同一化-|斎藤環(精神科医)
  • 「鬼滅の刃」の謎 あるいは超越論的炭治郎|斎藤環(精神科医)

    ※ 論は12月9日に開催されたゲンロンカフェのトークイベント「伊藤剛×斎藤環×さやわか 『鬼滅の刃』と少年マンガの新情勢」で述べたいくつかの論点の備忘録として書かれた。ネタバレについては一切配慮をしていないので、原作未読・アニメ未見の方には注意を促しておく。 「鬼滅の刃」のわかりやすさ 「鬼滅の刃」(以下「鬼滅」)が空前のブームを巻き起こしている。アニメ「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」は公開三日目にして興行収入48億円という空前の記録を樹立し、12月12日までの興行収入が299億2千万円、観客動員数が2152万人に達した。国内興収記録歴代1位の「千と千尋の神隠し」を抜くのももはや時間の問題であろう。原作漫画はさきごろ最終巻となる23巻が発売されて全巻の売り上げが1億2000万部を越え、11月30日発表の「オリコン年間コミックランキング 2020 単巻別」では、史上初の「1位~22位独占」

    「鬼滅の刃」の謎 あるいは超越論的炭治郎|斎藤環(精神科医)
    Seiji-Amasawa
    Seiji-Amasawa 2020/12/23
    「その意味で「鬼滅」とは、「正義の被害者(柱)」が「闇落ちした被害者(鬼)」と戦う物語、でもある。ここで注意すべきは、「正義」がしばしばトラウマ的な出自を持つ、ということだ。」
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