SentiMuyMalのブックマーク (82)

  • 精神障害者の俺、手切れ金としての年金、この世界への感謝

    世の中大変なことになってるなあと思いながらぼけーーーーっとネットやらテレビやら見て、好きな時にシコって飯って寝て暮らしている。 俺は障害者だ。頭の方の。もともとアスペルガーだか自閉症だか知らないが、よくわかんねえけどとにかく一回就職して、働いて、しばらく耐えて、ぶっ壊れた。 そもそも生まれたときからおかしかったんだよ。だって生後3年間意味のある言葉をひとつもしゃべらなかったっていうんだから、そりゃおかしいよな。 親も医者に相談するなりすりゃよかったのだが、自分の子供がそういう子だと認めたくなかったんだろう、心療内科の類への来院歴は全く残ってなかった。(これ障害年金請求するときに調査が入るらしいのよ。そういわれたってだけだからほんとかは知らんけど) 小学校に上がっても「変わってるね」「おかしいよ」「あいつ面白いぜ」なんつって珍獣扱いされてちょっかいかけられてたし、学校の窓を蹴って割ったりと

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  • もう直ぐ生誕50周年ですわ。 なんか疲れたなー。けっこう俺頑張ったんち..

    もう直ぐ生誕50周年ですわ。 なんか疲れたなー。けっこう俺頑張ったんちゃうかなー。 親は福祉にあずけて。俺は失踪して、そのまま死んでももうええんちゃうかなあ。 よく頑張ったよ。なんかこんなモブの人生なんて対して大事でもなんでもなかったなあ。 人権がどうやら大事だってことで、いろいろ他人に危害を加えないように生きてきたけど、 結局、いかに人の人権を侵害して自分の利益にするかうまくやってる人間ばかりが幸せになる。 なんだったんだろうな。なんか生きててもどう考えても無駄だよなあ。 かと言って犯罪者として生きていくのもめんどくさい。 やっぱ死ぬのが一番正解な気がする。 モブの命なんて対して価値はないわな。うん。

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  • 美人だけの孤独があるんだなと思った

    私(平均的女)にやたらと絡んでくる超美人がいる。 最初は不思議だった。美人ってだいたい美人同士でつるんでるのに、彼女は自分より10段階くらい顔面レベルが下の私にめちゃくちゃぐいぐいくる。 最初私はなんか利用されるのかな、自分を見下して遊びたいのだろうか、と疑って誘われても5回に4回は理由をつけて断ったりLINEの返信をかなり遅くしたりしていた。それでもしつこくぐいぐいくる。 根負けして遊びに行ったり仕事以外でも夜電話したりするようになった。 そうしたら嫌でも彼女の考えや人生がなんとなく見えてきた。 顔さえ良ければすべてうまくいく、みたいな考えが昔より強まってきた気がする世の中。実際、見た目の価値は昔より上がっている実感がある。 そんな中、彼女は自分に浴びせられる好意的な視線や行動にとめどなく晒されてきた。 それは不美人にとっては羨ましい限りだが、実はそうではないらしい。 うまく説明できない

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  • 4ヶ月住んで感じた田舎暮らしのデメリット

    子供が産まれたのを契機にの実家に4ヶ月ほど住んでた。リモートワークが一般化して田舎暮らしに憧れる人も多いと思うので、 思ったことを書いておこうと思う。 ちなみに自分は生まれも育ちも東京都内(23区ではない)で、自宅は23区内の駅徒歩5分マンションである なにもない もちろんこれまでにも何度も義実家には訪れているので勝手はわかっている 新幹線の駅から車で30分、峠を越える山間部でまわりには何もない 駅の周辺までいかないと何もないので、最低30分車に乗らないと何も出来ないところである 最大3泊ぐらいしかしたことがないので、これまでは「なんもねぇなぁ」ぐらいしか思ってなかった インターネットは思いのほかすごい 日の狂ったインフラ行政とNTTのお役人のおかげで、そんな村にもひかりふぁいばーが届いている これが衝撃的なことに1Gbps回線である。実測も500Mbpsぐらい出るので仕事には全く支障

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  • 実家が心霊スポットになって困ってる

    田んぼと山と高速道路の陸橋に挟まれた山の中の集落に住んでいる。 山の麓から神社へ雑木林を切り開いた参道があって、参道から逸れた小道の奥に集落がある。家は全部で7軒。住んでいるのはうち含めて二軒。 父は既に故人で母は入院中、兄弟姉妹は家を出ている。集落の住人は俺と一人暮らしの高齢女性2人。 この山、集落、神社、裏山のトンネル全体がまとめて心霊スポットになって困っている。原付に乗った高校生やBBQ帰りのヤンキー、帰省してドライブしているらしき大学生などが肝試しに参道や家の前を大騒ぎしながら歩いている。夜は雨戸を閉めているので光が漏れず人が住んでいるとは思われないらしい。 夜中にちょっとコンビニ行こうと思って建て付けの悪い玄関をガタガタ開けたり、参道ですれ違っただけで若い子たちに「ぎゃー!」と叫ばれる。 どうやって故郷を脱心霊スポットすれば良いかね?

    実家が心霊スポットになって困ってる
  • じゃあ濡れて行こっか

    改札を出るとさっきまで晴れてたのにゲリラ豪雨でとんでもない雨が降ってて、ワイは降り止むのを待ってた 隣りでカップルとおぼしき2人は、雨雲レーダーを見て雨が抜けるのが20分後とか30分ってのを調べたらしく、作戦会議をしてた 雨が抜けるのを待つか、このまま濡れて帰るか 彼氏が雨抜けるのを待ってる時間で家に帰ってシャワー浴びれるわと言い、彼女はじゃあ濡れて行こっかと返し、スマホをビニール袋にしまうと、土砂降りの中に足を踏み出した 思いっきり手を広げてショーシャンクの空にごっこと笑いながら雨の中をゆっくり歩いて帰っていく それを見てなんだか胸が苦しくなって、煌めく物語からワイだけ取り残された気持ちになったんや

    じゃあ濡れて行こっか
  • 上司とラーメンに行きたくなさすぎる。

    今日、出勤したものの、上司と2人でラーメン屋に行く約束が嫌すぎて、冷や汗が止まらず気分が悪くなり即退勤した。人数が少ない部署なので、同僚の人には悪いと思ったけど、あまりにも嫌すぎて、自分がこんなに嫌だと思ってることに驚きつつも休んでしまった。明日はちゃんと行こうと思っている、し、もしも明日ラーメンべに行こうってなっても行けると思う。今日たまたま体調とかメンタルの調子が良くなかったんだ。 上司は55〜59歳で、自分の部署の一番上の人。5人しかいない部署で、狭い部屋で一緒に仕事をしている。上司と自分は4月に同時に異動してきた。仕事上、頼りになる人だし、自分も特に仕事面で心配なことはない。残業も少なくて、先輩も聞けば教えてくれる理想的な環境。 上司は職場でパワハラセクハラで有名だ。前の部署では2人ほど長期の休みに追い込んで、1人辞めさせている。それでも上司が干されないのは、仕事をこなせるからと

    上司とラーメンに行きたくなさすぎる。
  • ハンディキャップ

    40代も半ばに差し掛かり、運動不足もあって体が思い通りに動かなくなってきた。もうすぐ45歳になる。 今は亡き父が45歳でまだ健在だった頃、自分は高校3年だった。 ある日、同級生の友人男女を離れの部屋に招いて酒を飲みながらドンチャン騒ぎをしていた現場が見つかり、怒り狂った父に友人共々追いかけられた。 浜辺まで追い詰められたところで、友人たちを逃すために止むを得ず父と取っ組み合いをした。 当時の自分はレスリング部で地区大会の常連。柔道経験者である父に負けないよう全力で向かったところ、圧勝してしまった。負けを認める父がなぜか嬉しそうだった。 あれから四半世紀ほど経ち、当時の父とそっくりな小太り体型の自分がいる。そして、あの一戦にはハンデがあったことを知る。

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  • めでたく40歳になったので語ってみる

    当に残念ながらめでたく40歳になったので記念におじさん語りをしてみる。 とにかく生きるというのは辛い。何度、発狂したことか。こめかみを押さえてうずくまることなんて月に何度もある。当に上手くいかない。 だが、諦めてはいけない。蓋をして見ないふりをすることもあるが、それでも時間がどれだけかかっても問題ついて対応方法を考え続けなければならない。 上手くいかない問題は何度も現れるからだ。何度も負けていると悪循環に陥る。自分以外に責任転換を始め、問題から目を背けるようになり、日々くだを巻いて愚痴を言うだけになる。 確かに自分にはどうしようもない事柄はある。それでも、自分の心が折り合える方法を探さなければ多くのことが壊れていく。 人生とはトラブルや問題の回答を探す繰り返しだ。ごくまれに嬉しいことがあるがマラソンの給水ポイントより少なく、夏の暑い日に一瞬だけ感じる風のようなものだ。 多くの人は誰かが

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  • ある声優に生活を一変させられている

    40代地方在住独身。ぱっとしない生活が一変した話をどこかに吐き出したくて書く。 ひょんなことから数ヶ月前は考えられない毎日を送っている。 いわゆるロスジェネ世代なので就職は苦労したが、都会で働いてからUターンして、ちょっとした専門分野で奮闘してなんとか生き延びている。裕福ではないがまあ生活に困ることはない。 田舎暮らしは嫌いでもないが、若い頃から文化的な面が乏しいのには辟易していた。その反動で都会にいた頃はライブやイベント、美術館などにもよく通ったが、地元に戻ってからは同世代と話題が合わないことにやっぱり困った。もう諦めたけど。 周囲はギャンブル(パチンコ)とか、女性のいる店の話ばかりの人が多い。そういうのが趣味じゃないので、仕事以外はせいぜい家で映画見るかゲームしてるか、くらいの日々だった。 漫画はもともと少し読む習慣があった。といっても最近はアプリで無料作品を中心に物色するくらい。 勧

    ある声優に生活を一変させられている
  • 奇跡が起きるのは思っているより多いのかもしれないという話

    俺は海沿いの街で暮らしていて、二日に一度くらいの割合で仕事が終わってから浜辺に焚き火台を出して一人で何時間も火を焚いているという、あんまり頭の良くない趣味を持っている。 職場から家に帰ってきて焚き火台と薪を持って浜まで行くと、始められるのがおおよそ19時過ぎで、何回もやっているくせに木が炭になる時間の感覚がいまいちつかめないのもあって、「俺はいま焚き火をやってるな」と実感できる数の薪を燃やしていると綺麗に燃え尽きるのが21時半ぐらい、それからようやく夕飯をべ始めるのでやっぱり馬鹿なんだと思う。 季節で日が落ちるのが遅いけれども、灯りのあまりない海岸なので、20時を過ぎるとかなり暗くなる。自動車が道路を行き交う音と海鳴りが聴こえる闇の中にいるのは俺だけ…では意外となくて、砂浜に降りてくる道のコンクリートで舗装された突端に、よく誰かが二人で座っていたりする。 それは必ずしも決まった人たちでは

    奇跡が起きるのは思っているより多いのかもしれないという話
  • 悪くない人生だった

    36歳男。 今朝、死ぬ夢を見た。 路上で倒れて俯瞰視点になって誰も助けてくれない。 目が覚めてから走馬灯のように人生を振り返った。 結婚もしてないし女性とお付き合いした経験もない。学生時代の栄光もなければ仕事で活躍したりもしてない。そして今コロナで職場を追われその日暮らしをしているが、それでも悪くはないなと思えることも多かった。 幼少時に両親が離婚し、母親に育てられた。 2年の時だったか、「お父さんの仕事についてお話を聞いてきましょう」という宿題が出て、俺は母親に聞くしかなかったからそれを発表したら「何でお母さんなの?」みたいになって、教師の大したフォローもなく大泣きしながらそのまま帰った。 その日から不登校になったが、あの宿題の出来は結構良かった記憶。 文化祭のタイミングで教師がうちに来て、文化祭は来ような、みたいな感じになって「ふじまる」という相撲取りの役をやった。あれはイマイチだった

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  • 卒業式から一年経った

    同期5人、ひとつ下の後輩1人のサークルの仲良しグループがあった。(各々がどう思ってたかはともかく、仲良しということにしてください)去年、私が卒業した時にサークルでもらった寄せ書きに、後輩のメッセージカードが入っていなかった。私以外の4人には、みっちりびっしり、カード2枚も3枚も書いていたらしい。後輩からカードを貰ってないことに気づいてから、その仲良しグループで「後輩からのメッセージカードがアツくて泣きそうだった」みたいな話になるたびに愛想笑いをするしかなかった。 一年経って、その後輩が卒業する年になった。寄せ書きを作ろうと言う話になり、遠方に引っ越した同期はわざわざメッセージカードを書いて郵送してきた。私がそのカードをまとめて台紙に貼って渡すことになり、全員分のカードが私の手元に来た。みんな、私以外みんな、"いいこと" を書いてて、しかも気でそう思って書いてるぽかった。自分の書いたメッセ

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  • 大川隆法と私

    私は幸福の科学の信者でもないし大川の著作を読んできたわけでもないが、ある時期、すこし彼に執着していろいろ調べたことがあるので、訃報に触れて思い出すことを書いておく。すべてうろおぼえの話を書くのでいろいろ間違っているとは思うが(ツッコミが入りそうな予感はする)。 幸福の科学でいちばん面白いのは教祖である大川の存在とその頭の中身だと思っている。そして、人間として大川の性格のようなものは、幸福の科学の教祖になった後、意図的に対外的な自己像をつくり直した過程によくあらわれていると思う。そのあたりの展開は『太陽の法』の初版と改訂版(現在の版につづく)を比較するとよく分かる。もし大川の人となりを知りたい者がいれば、おそらく『太陽の法』の初版以上に有用な資料は少ないだろう。 彼は徳島の田舎で誕生するが、たしか父親はGLA(かGLA系の何か)に入れ込むスピリチュアルな人で、一時期は共産主義に傾倒したあと精

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  • そりゃ「選択の自由(笑)」はあるよ。

    ただし、金持ちや上流階層の人間たち限定で。 以前、某大手全国新聞が抜け抜けと「仮に収入が減っても、節約を工夫して楽しい暮らしをすることは可能だ」とか書いたことがあったけど、それと同じだよ。 豊かな生活と質素な生活(※婉曲表現)のどちらかを選ぶ自由を持つ人間だけが「質素な生活も選択肢の一つ」とか言うわけ。金持ちは金持ち生活を下りる自由があるけど、貧乏人には貧乏生活を下りる自由は無い。下流階層の人間には選択の自由も無いのに「これも一つの生き方だ!」と"選択"したつもりになってるだけ。馬鹿だなあ。生き方を選ぶ自由が下層民にあるわけねえだろ。目を覚ませ。 ついでに言うと、選択の自由(笑)を下々の民に教えてくれる偉い人たちは、実際には選択の自由(笑)を行使しねえからな。新自由主義を喧伝して雇用の流動性の重要性を主張する経済学者は、十中八九、大学の終身雇用に執心してるだろ? 「貧しくとも楽しい暮らし」

    そりゃ「選択の自由(笑)」はあるよ。
  • 地方で子どもに与えられる文化資本

    東京生まれ、東京育ち。東京の大学に通い、東京で就職した。 このまま東京で生きていくつもりだった。 が、地方転勤になってしまった。幸いにも転勤先はの実家のある県だ。資格職でキャリアの心配が少ないは、地元に戻れると喜んでいた。 しかし、全国的に見ても田舎とされる県であり東京を出たことがない自分には未知の世界である。 正直まだ受け止めきれていないし、心配も多い。特に運転が苦手でペーパードライバーの自分は車社会に戦々恐々である。職場や地域の文化にも馴染めるかも不安だ。だが、せっかく得たチャンスと捉え前向きに頑張ろうと思う。 問題は子どもである。上の子は4月から小学校、下の子は4つだ。入学する小学校は近所の公立に決まり、保育園も第一志望にすんなり通せた。どちらも地元では雰囲気が良く面倒見が良いと評判のところらしい。 は、幼稚園から大学まで国公立。塾なども通わず学校の勉強だけで進学してきた人だ。

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  • 実父 不明 実母 覚醒剤中毒の立ちんぼ(布団を敷いたリビングが仕事部屋..

    実父 不明 実母 覚醒剤中毒の立ちんぼ(布団を敷いたリビングが仕事部屋) 継父 覚醒剤の売人、気づいたら失踪してた。 という環境で育った。 学校には通わず同じ地区の同い年の奴らと10歳くらいから恐喝や窃盗などで小遣いを稼いでいた。狙うのは脛に傷があって騒げない奴。何回も捕まっていたが初めて少年院に入ったのは14歳。 2年半ほぼ独房で団体寮に行くことなく卒院。その後は地元の先輩たちのパシリをやっていた。借金の取り立てやヤキ入れ、攫いが多かったが、箱での電話やタタキをやらせてた債務者に発破かけたり監視したり、飛ぼうとした奴へのヤキ入れも多かった。タタキは民家は狙わず、ケツモチのいないキャバクラ、ホスクラ、ガルバ、デリヘルを狙う。スタッフのいる時間を狙って襲わせ、事務所まで案内させて系列の金庫ごとがっぽり頂く。 派手にやり過ぎたため目をつけられ、証拠が無くパイになっても別件で引っ張られるというの

    実父 不明 実母 覚醒剤中毒の立ちんぼ(布団を敷いたリビングが仕事部屋..
  • ADHDの友人がガンで死んだ

    昔からルーズでヘラヘラしてたけど、愛されキャラって言うの?叱られつつも気に入られる魅力的な奴だった。 大学で会って、研究室も隣で、毎晩のように学で蕎麦すすっては肩組んで俺の部屋に帰り雑魚寝する大の仲良しだった。 就職してからはお互い会うことも随分減ったけど、年に5回程度、安居酒屋で呑んでは〆の蕎麦屋に繰り出し、やっぱり肩組んで俺の家に縺れ込んでは呆れたに2人一緒に締め出される仲だった。 4、5年前に、デートをすっぽかし過ぎて彼女に振られた〜つって泣くから、俺の妹の友人って子を紹介した。どうせ彼女の二の舞さだとか笑ってたのに、ハイスペ美人で超真面目なその子と、ゆるゆるルーズで適当なそいつは妙にウマがあったらしく、紹介した一年後には結婚までしやがった。ご祝賀に幾ら払ったと思ってんだこの野郎。 お互い結婚してから、俺も子宝に恵まれて、こりゃあ前みたいに呑みには行けねえななんて笑ってはいたけど

    ADHDの友人がガンで死んだ
  • 就活で自殺するぐらいなら就活する前に自殺しろ

    就活で自殺するぐらいなら就活する前に自殺しろ。そうすれば就活なんかしなくてもいい。就活をするんだったらしてもいいしした後で自殺してもしている途中で自殺してもおんなじだ。みんな自殺しよう。 いつも偉そうな能書きたれている清水だかなんだかいうアホが就活で自殺するな中小企業がどうだこうだと書いていた。清水はバカである。学生のうち99.99%は特に何の業績も上げられずにガンなり糖尿なりになって普通に情けなく死ぬ。ウィキペディアに名前も残らない。残るのはせいぜい2chの恥ずかしい書き込みログぐらいだ。増田のアカウントも消しておかないとな。さっさと自殺しろ。この世はお前のためにあるんじゃない。この世は清水みたいなアホと、そのアホに洗脳された名無しの歯車たちのためにあるのだ。ああいう奴らが偉そうに能書きたれるために社会は存在する。就活ぐらいで自殺するなと。 就活ごときで自殺するなと言っている人間は就活そ

    就活で自殺するぐらいなら就活する前に自殺しろ
  • 人生向いてなかった

    今年で大学7年目。単位は四年のゼミと卒論以外全て取ってる。 3年から4年にかけて就活全滅→ゼミで自分以外全員内定→就活失敗と元々友達がおらず浮き気味だったこともあり四年の途中からゼミに出れず→5年目は部屋で引きこもっている間にお世話になっていたゼミの教授が定年→6年目は下級生の中で知らない教授のゼミに行きづらく途中で脱落、というルート。今年は就活をしつつゼミに出て卒論を仕上げるという計画だったが、就活は全滅。なんとかゼミには全て出たが就活が長引いて卒論に手がつかず、教授と話し合ってゼミの単位のみ認定し卒論の提出は来年(8年目、在学可能年限の最後)ということになった 4年の秋までは1年の時から続けていた飲店のアルバイトをして自炊をしながら貯金節約をして生活していた。しかし、バイト先でも周りが内定を貰う中で辞め、実家から仕送りを貰い始めて以降、収入は無いのにストレスで支出は遥かに増大という

    人生向いてなかった