「◯◯ばかりになると国がつぶれる」 たいてい何を入れても正解です。そこに入れたくなったものをあなたは忌々しく思っている、という心理テストでした。
私が講演等を行う時に、もっとも気をつけているのは、ここにも当事者の方がいるかもしれないという事です。これは、HIVのボランティアで頑張っている時、特に厳しく問われたことです。私が話すことによって、傷つく人がいては絶対にいけないという事ですね。 今回の京都は教育大学の二つの講義でも、いろいろな学びがありました。 午後の講演の後、個人的に話をしたい、質問をと言って来られた中には、当事者の人も、当事者の家族の方もありました。 参加者に、関口久志先生が、プリントを配って下さいました。それは、あの「杉田水脈衆議院議員の「『LGBT』支援の度が過ぎる」論稿から考える」という投稿。自民党の政治家のこれまでの様々な差別発言、それに反して、教育現場での学生のコメント.そして「性の多様性は、全ての人が当事者です。顔や身長が違うように、性も違って100人いれば100通りです。」等と、とても貴重な関口先生の文章。
オペ可能な歳まで男でいられたMtoFには、幼児の頃から常に男に穴を狙われて生きてきたシスジェンダーに刷り込まれた男への恐怖心や不信感は分からないよ。 トイレ論争も風呂論争もチン◯のついてるMtoFまでが「自分のチン◯は一部の性犯罪者とは違う、いいチン◯だから一緒に入れろ」と言うけれど、いいか悪いかの問題じゃなく、唯一気兼ねなく性器を性的でないものとして開放できる空間に、チン◯が突如現れる恐怖心をMtoFが理解することはないんだろう。 これはいわばフェミニズムの敗北だよ。軒先貸して母屋取られた状態だよ。
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