日本語に関するShisuya_Kitoのブックマーク (3)

  • 言葉に対する感受性 - こころの風景

    先日夫が突然「ブログをやってる人って、よくいろいろ書けるよなあ」と言ったので、ブログも(ホームページは知ってます)やっていることは内緒にしている私はヒヤッとした。それは単に読んでいた新聞記事に触発されただけの発言だったのでホッと一息ついて、「文章の巧い下手を気にしなければ、誰だって思ったことを書けるんじゃない?」と答えたのだ。しかし夫は「自分には何も書けない」と言う。夫は子供の頃の作文の時間は苦痛でしかなかったそうで、今でも仕事上の「文書」ではない、個人的な作文をしなければならない状況になると「書けない、書けない」と大騒ぎする。 「作文が好きな人・得意な人・得意じゃなくても書ける人」と「作文が苦手な人・書けない人」つまり「原稿用紙あるいはパソコンを前にして、書くべき言葉が浮かんでこない人」はなぜ生まれるのだろう? 一般的に言われるのは読書量の違い。「上手な文章を書きたければたくさんを読み

    Shisuya_Kito
    Shisuya_Kito 2007/11/15
    予定調和的な文章よりも、だんだん論理が破綻していって最初と最後で全く話がまとまっていないのだけれど、「まぁいいかぁ」で赦しせちゃう文章が好き。田中小実昌さんのそれとか。昭和の作家のエッセイなんかいいね
  • ショコラ・リパブリック言語論 - 内田樹の研究室

    学校に行く途中、二号線沿いにチョコレート屋の開店の看板が出ていた。 Chocolat Republic 「ショコラ・リパブリック」と読みながら、「変なの」と思った。 「チョコレート共和国」というのを英語で書くなら Chocolate Republic だろうし、フランス語で通すなら République du chocolat とかRépublique chocolatée(あ、これいいな「チョコレートフレイバーの共和国」)であろう。 どうしてこういうデタラメな表記をするのであろう・・・と学者にありがちな定型的な反応をしたあとに、いや待てよと思った。 「こういうデタラメな表記」がすらすらとできるのはもしかすると日人だけではないのか。 ある種の錯誤行為が「すらすらとできる」というのはあるいは能力の一種と言ってもよろしいのではないか。 そう思い至ったのである。 しかし、それは一体どのような能

  • http://d.hatena.ne.jp/Shisuya_Kito/20071111/1194778632

    Shisuya_Kito
    Shisuya_Kito 2007/11/13
    id:azumyさん「遠回りに雰囲気で悟らせる」id:hatayasanさん「沈黙をもって語る」ということがあるからこそ、「空気を読め」なんて悪習が蔓延るのでしょうね。id:yumizouさん これ日本語独特の自然主義の悪癖だと思います。
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