大震災翌朝の宮城県南三陸町。がれきや水たまりで道路の位置すら分からない市街地へ、入谷地区の消防団員は向かった=3月12日午前5時50分 震災翌日の午前中に国道398号のがれきが寄せられ、避難や支援物資の運搬ができるようになった=3月12日午前11時30分ごろ、宮城県南三陸町志津川 大津波は町役場はおろか、警察署、消防署をものみ込んだ。災害対策の指令機能を完全に喪失した宮城県南三陸町。大地震の翌日、いち早く生存者の救出に向かったのは、町山間部の入谷地区の消防団だった。余震と津波の恐怖と闘いながら、公立志津川病院で孤立した約120人を避難させた。(門田一徳) ◎「われわれが、やらなければならない」 <内心> 3月12日午前7時、入谷地区の集会所に70人の男が集結した。厚手のジャンパーに安全靴、手にはとび口とスコップ。辺りはうっすらと雪が積もり、吐く息は白かった。 「生存者の捜索と避難経路の