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ブックマーク / benli.typepad.com (2)

  • 見飽きた光景としてのことのは騒動

    「ことのは」騒動で見られた面白い現象の一つは、自身匿名でしか意見を述べていない人々が、松永さんの属性を問題視しているところです。 「それら論調がなぜ出ているのか、何の為に言っているか」が重要であり、それを知る重要な手がかりとして発言者の属性が重要であるというテーゼを受け入れてしまった場合、発言者の属性が検証可能な程度に明らかになっていない発言というのは「それら論調がなぜ出ているのか、何の為に言っているか」を知る手がかりを読者に明確に与えないが故に、表現としての価値を失うと言うことになります。しかも、「それら論調がなぜ出ているのか、何の為に言っているか」を知る重要な手がかりとしての発信者の属性情報というのは、私がこれまで話題としてきた「発信者に責任を追及する際に活用される発信者の属性情報」よりはかなり広汎なものとなることは明らかです。また、「発信者に責任を追及する際に活用される発信者の属性情

  • 「世間」は祭っていない

    松田勇治さんの連載記事については、連載が終わってからコメントをつけようかと思っていましたが、いつ連載が終わるのか分からぬまま、ネット上で話題騒然となってきましたので、この辺でちょっとコメントをつけてみようと思います。 松田さんのレトリックの肝は、連載の第4回目に端的に表れているようです。 松田さんは、 では、いったい「祭って」いるのは誰で、その目的は何なのか? 一般的な了解として、「祭って」いるのは「2ちゃんねらー」ということになるだろう。 とした上で、 では、「2ちゃんねらー」とは誰のことか? もしくは何を指すのか? と問題提起をします。そして、松田さんは、次のように述べます。 しかし、第2回でも触れたように、いまや2ちゃんねるを利用しているのは種々雑多な一般(とは呼べない層も含んでいるだろうが…)の人々であって、何か共通した意図や目的を持った集団などではない。wikipediaの定義も

    Skaarj
    Skaarj 2005/11/13
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