小学2年生のときに同級生の誘いで野球を始める[2]。その年に父を亡くし、家計を支えるために働き詰めだった母と祖母の姿を見て、この人たちのために自分はプロ野球選手になろうと決心する[3]。子どもの頃から背が高く一学年上のチームでプレーし、投手で4番打者だった[2]。中学時代はボーイズリーグの大阪東ジャガーズに所属。尽誠学園高校時代は2年時に第69回全国高等学校野球選手権大会に「6番・左翼手」で出場し(本来ポジションは一塁か投手だったが先輩に譲り左翼を守った[2])2試合で2安打を記録した[4]。また、高校の1学年先輩に伊良部秀輝(元ロッテほか)、1学年後輩に宮地克彦(元ソフトバンクほか)、(尽誠・大商大通じて)2学年後輩に谷佳知(元オリックスほか)がおり、伊良部とは寮で同部屋だった。高校卒業後は大阪商業大学へ進学。関西六大学リーグで通算95試合出場し、330打数104安打、打率.315、12