2009年4月25日 クオリアの視点から名色(みょうしき、ナーマ・ルーパ、nAma-rUpa)を考えてみる、という着想を得た。 名色という概念は、単純に見えるけれど、すとんと腹に落ちる形で納得することは難しい。しばしば「名称と形態」と訳されるが、なぜそのふたつが対として捉えられるのか、用語としてこれほど頻出する重要性はどこにあるのか。分かったようで腑に落ちないまだるっこしさがある。 しかし、クオリアと対照してみれば、名色という概念をかなり明解に捉えられるのではないか。のみならず、釈尊の教えの核心についても、新たな角度から光をあてることができるかもしれない。 そんな目論見で、クオリアを方便として名色を考え、さらにその延長線上で釈尊の教えについて考えてみたい。 はじめに『仏教語大辞典』(中村元著・東京書籍)の「名色」の項から抜粋する。 ① 原語は、古ウパニシャッドにおいて現象世界の名称と形態と