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ブックマーク / www.dia.janis.or.jp/~soga (3)

  • 名色(ナーマ・ルーパ)をクオリアの視点から考えてみる

    2009年4月25日 クオリアの視点から名色(みょうしき、ナーマ・ルーパ、nAma-rUpa)を考えてみる、という着想を得た。 名色という概念は、単純に見えるけれど、すとんと腹に落ちる形で納得することは難しい。しばしば「名称と形態」と訳されるが、なぜそのふたつが対として捉えられるのか、用語としてこれほど頻出する重要性はどこにあるのか。分かったようで腑に落ちないまだるっこしさがある。 しかし、クオリアと対照してみれば、名色という概念をかなり明解に捉えられるのではないか。のみならず、釈尊の教えの核心についても、新たな角度から光をあてることができるかもしれない。 そんな目論見で、クオリアを方便として名色を考え、さらにその延長線上で釈尊の教えについて考えてみたい。 はじめに『仏教語大辞典』(中村元著・東京書籍)の「名色」の項から抜粋する。 ① 原語は、古ウパニシャッドにおいて現象世界の名称と形態と

  • スッタニパータはアートマンを説く反仏教!

    2004年5月10日 <背景説明> この小論は、もともとは、木村清一さんという方の「アートマンとブラフマンは一致する」(04,4,9,)という御意見についてのやりとりに、後から加筆した部分だった。今、松史朗「仏教思想論 上」を読んでいるのだが、その一部を要約して付加したいと思うので、この際、小論集に移すことにした。 以下の思考錯誤の発端は、木村さんへのメールで、私が岩波文庫「ブッダの言葉」から無我を説いていると思われる部分を抜き出したことから始まっている。 ・・・・・・・・・・ 【 2004,4,22, 加筆 】 <まずいものを再発見> 超越的源を想定し、我々は皆それを分有しているという考え(その元が「梵我一如」)は仏教ではない、という小論を書こうと思い、松史朗「縁起と空」大蔵出版を読み返していたら、まずいものを再発見してしまった。「第五章 解脱と涅槃-この非仏教的なるもの」で

  • 『ゴータマ・ブッダ考』を読んで。私とはそのつどの煩悩

    SriVidyut
    SriVidyut 2007/12/23
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