2011年8月25日のブックマーク (1件)

  • 占いをするということ - 北斗柄の占いについて思うこと

    占いは大きく2つの公理の基に成立していると考えて良いだろう。1つは、 意味のない偶然は存在しない。 易者が竹ヒゴみたいなものをジャラジャラやっている*1、とかタロウカード*2を1枚ひいてみる、これらは現象としては乱数を発生させていることに等しい。つまり偶然だ。更に言えば、あなたという他人が私のところに占いを依頼しに来た、これだって偶然だ。こういった偶然、その全てには意味がある*3、なければ占いなんて成立しない*4。 もう1つは、 類似するものは運勢もまた類似する。 手相・人相ではこの公理が生な形で出てくるけれども、生年月日時の干支*5の並びが似ているとか、生まれた時の星の配置が似ているなんかも“類似”のうちだ。畏友、大石真行の持ちネタの1つに『タネ銭』がある。これは紙幣の番号に自分の生年月日時がなるべく含まれているものを財布に入れておくという、ちょっとした開運法だ。なんでもその御札が仲間の

    占いをするということ - 北斗柄の占いについて思うこと
    Sumitomo
    Sumitomo 2011/08/25
    『どこまで詳しく読み解いたとしてもそれで完全ということはなく』『毛一筋の間違いが現実には千里の差となってしまいます』この2つの論理的帰結として、「現実的には占いを行うのは不可能である」が導かれるような