先日、3人に対して死刑が執行されました。 私たちはこの執行に対して強く抗議します。今回の執行も国会休会中に行われ、国会における議論を避けたと思われます。また、内閣改造が27日に控えているとも聞いています。さらに、法務省自身が死刑執行は慎重な判断が必要と言っているにもかかわらず、今年4月の執行以来、わずか4カ月をおいての執行という早急なものでした。今回の死刑の執行についても、本人や家族を含め誰にも事前の予告はなく、突然に行われました。 法務省は死刑執行に関しては詳細を発表しません。誰が処刑されたかは、あくまで非公式に関係者によってもたらされる情報です。事前には誰にも知らされていません。 なぜ隠すのでしょうか。 もし「凶悪な犯罪だから死刑は当然である」と考えるなら、法務省は事前に氏名を発表すればよい。というかむしろ、するべきだ。このような秘密主義では、行政が適切に行なわれていることを国民は知る
決して許すことのできない事件の判決が20日にくだる。当時18歳だった犯人 福田孝之は、1999年(平成11年)4月14日午後2時過ぎ、会社員の本村洋さん(当時23歳)宅に、排水検査を装って部屋に入り、本村さんの妻(23歳)と長女(11ヶ月)を殺したのだ。妻を殺し、死体に対し性行為に及び11ヶ月の赤ちゃんに手をかけたあげく、金銭を盗んだのだ。室内の指紋や死体を隠すという証拠隠滅行為さえ行っている。 犯人 福田孝之は、当日会社を無断欠勤し犯行に及んでいる。犯行は明らかに計画的で残忍で絶対に許すことができない。犯人 福田孝之の残虐非道さは、インターネットを検索すればいくらでも出てくるし、高裁の判決文もヒットして読むこともできる。 なぜこんな男が死刑にならないのだろうか?裁判所は不思議な場所だ。一般人と裁判官の常識のズレを感じることが多いが、この事件の今までの判決には納得いかない。そう思う人は多い
未だ当たっておくべき文献は残っているのだが、もとより論文を書くわけでもないし、それなりに文献を渉猟する中で既にある程度言えることも出て来たので、ひとまず書いておくことにしよう。なお、本エントリは以下の二つのエントリの続きとして書かれるので、予め参照を乞いたい。 被害者及び死刑(後半&コメント欄) 「刑罰は国家による復讐の肩代わり」という神話(含コメント欄) 「国が仇を討ってやるから、勝手にやるな」 まず、全国犯罪被害者の会で代表幹事を務める岡村勲の手になる文章の一節を引いておきたい*1。 人問誰しも犯罪、特に重大な犯罪の被害者や遺族になれば、加害者に対して応報感情を持つのは当然だ。 昔は「仇討ち」という制度があった。殺害された被害者の近親者は、休職して仇討ちに行く。捜査費用は本人持ちだ。首尾よく目的を達して帰国したら、武士の鑑として賞賛され、復職する。途中の艱難辛苦に堪えかねて、脱落した者
最近よくコメントをいただくSaitamanさんから面白いご指摘がありました。問題の根っこは死刑制度の是非ということなのですが、この問題を考える上で重要な視点を与えてくれる議論のように思えたので、今回はそれを取り上げます。私自身は死刑制度に反対する記事を一貫して書いていますし、たぶん三十年以上その立場は変わっていません。それなのにこういう視点でこの問題を考えたことは一度も無かったかも知れない、そんなふうに感じてとても面白く思ったのです。それは殺人事件への対応という問題を考える時に、身内を殺された遺族の立場ではなく、殺された本人の立場で考えてみるということです。Saitamanさんはこれを『カラマーゾフの兄弟』のイワンとアリョーシャの対話の場面を引いて、こういう言い方で表現されています、「死刑が廃止されて、Like_an_Arrowさんのいうところの道徳的に進化した社会が実現されたとして、それ
死刑は、ほとんどあらゆる時代のほとんどあらゆる国や民族によって行なわれて来た。そういう意味で、これは人間社会が成立する上での一種欠くことの出来ない制度であったと言うことも出来るだろう。その理由は歴史家でなくても容易に想像出来る。まずは社会の秩序を守るために危険分子を排除するという側面、見せしめの処刑という儀式を通じて権力を示威するという側面、そして社会を構成する人々の応報感情を満たしカタルシスを与えるという側面、この三つが合成されればどこでも自然発生的に死刑制度は誕生するのである。そこにはなにも人類が到達した深い智恵がある訳ではない。これが宗教と結び付き、道徳と結び付き、法律と結び付いたのは結果であって、その根底には人類が社会生活を営み始めるに当たっての欠くべからざる必然性があった。人間は自然的動物から社会的動物に移行するために、死刑制度を必要としたのである。だが、現代においては? 以前の
作家としてよりも、ひとりの誠実な思想家として私が敬愛するアルベール・カミュは、生涯にわたって死刑制度の廃止を訴え続けた。フランスが、その悪名高いギロチンを最後に廃止したのは、1981年、カミュが46歳の若さで夭折してから21年後のことである。カミュは自国の死刑廃止について、見届けることなく逝ってしまったが、その後フランスでは死刑は復活することなく現在に至っている。死刑廃止論のことを書こうとして、まず私の心に浮かんで来るのはそのことだ。 死刑制度の存廃については、すでにあらゆる議論が出尽したということがよく言われる。それが本当だったとしても、今日の社会があらゆる議論を尽した上で、この問題について何かの結論に達したのかと言えば、そうではないだろう。死刑制度に対する国民の賛否を問えば、現在の日本では存置派が八割に対して、廃止派が一割といった比率であるらしい。しかし、それは多くの人にとって、充分
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