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経済関連と歴史関連に関するSyunrouのブックマーク (3)

  • 第13回 ロックフェラー(その一)「石油王」の誕生---鉄道と電信を生かす事務作業が、若かりし彼を鍛えた(福田 和也) @gendai_biz

    第13回 ロックフェラー(その一) 「石油王」の誕生--- 鉄道と電信を生かす事務作業が、若かりし彼を鍛えた 石油をめぐる世界規模の興亡を記述した浩瀚な書物『石油の世紀』を著した、石油問題の世界的権威であるダニエル・ヤーギンは、日語版前書に、かく記している。 「ところで、石油は日にとって特別に重要な意味を持っている。二〇世紀の初頭、ロイヤル・ダッチ・シェルの創業者、マーカス・サムエルは、日が世界の強国として台頭するにあたり金融面の支援をした。 後、一九三〇年代から四〇年代にかけて、石油の逼迫は、日をして大東亜共栄圏の建設に向かわせることになった。東インド諸島の石油を求めて南進する要因となったのだ。そして、太平洋戦争の破局を迎える。戦後、再び石油は、日の〝高度成長〟の原動力となった。 ・・・・・・(中略) 石油は日にとって依然として〝選択〟を迫られる燃料であり、〝必要〟不可欠な燃

    第13回 ロックフェラー(その一)「石油王」の誕生---鉄道と電信を生かす事務作業が、若かりし彼を鍛えた(福田 和也) @gendai_biz
  • 第14回 ロックフェラー(その二)石油事業の経営権を二十代で掌握した。西部開拓とともに拡大の一途を辿った(福田 和也) @gendai_biz

    第14回 ロックフェラー(その二) 石油事業の経営権を二十代で掌握した。 西部開拓とともに拡大の一途を辿った 一八五九年、二十歳で、ジョン・D・ロックフェラーは、ヒューイット&タトル商会を退社した。そしてモーリス・クラークをパートナーにし、自分の卸売商会をたちあげた。扱う商品は、ヒューイット&タトルとほぼ同じで小麦、豚肉、塩だったが、しばらくして石油も取引品目のなかに加えられた。 一八六〇年、ロックフェラーは大統領選挙に投票した。リンカーンを大統領にするためである。ロックフェラーは、奴隷制度廃止の集会にも何度か足を運んだという。しかし、サムター要塞が攻撃を受け、リンカーンが七万五千人の志願兵を募った時、その呼びかけに応じなかった。彼は三百ドルを支払って身代わりになる兵士を雇い、軍に資材を提供したのである。南北戦争は、ロックフェラーにとって大きな商機となった。終戦までに一万ドルの財産を築いた

    第14回 ロックフェラー(その二)石油事業の経営権を二十代で掌握した。西部開拓とともに拡大の一途を辿った(福田 和也) @gendai_biz
  • 第15回 ロックフェラー(その三)恐慌は大チャンス。吸収と合併で稼いだ巨額の財産は何に費やされたか(福田 和也) @gendai_biz

    一八七三年九月十八日―暗黒の木曜日---、南北戦争後の長い好景気の命脈がついに尽きた。 中西部の大銀行、ジェイ・クック&カンパニーがノーザン・パシフィック鉄道への融資を回収できず倒産したのである。 株式取引所は閉鎖し、銀行も鉄道会社も将棋倒しのように破綻していった。 不況は六年間続いた。日当は二十パーセントから三十パーセントも下落したという。 もっとも打撃を受けたのは、石油業界だった。ブラック・サーズデイの直後、原油価格は一バレル八十セントまで下がり、翌年には四十八セント―地域によっては、水を運ぶコストより安い価格―まで下がった。 ロックフェラーは、この恐慌は、とてつもないチャンスだと考えた。 当時、石油業界は供給過剰に喘いでいた。業界の二十五パーセントのシェアを確保していたスタンダード石油でさえ、六つの中核製油所のなかで稼働しているのは二つしかなかったのである。それでも、ロックフェラーの

    第15回 ロックフェラー(その三)恐慌は大チャンス。吸収と合併で稼いだ巨額の財産は何に費やされたか(福田 和也) @gendai_biz
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