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2011年12月24日のブックマーク (4件)

  • 大喪(タイソウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    〘 名詞 〙 天皇・太皇太后・皇太后・皇后の喪に服すること。たいも。[初出の実例]「且国家大喪ある毎に、此令を設けば、囹囲の囚縲、君上の不諱を悦び待たざるを不得」(出典:公議所日誌‐一八・明治二年(1869)六月) 天皇,皇后等の葬儀。1924年制定の皇室喪儀令において,天皇・太皇太后・皇太后・皇后の死を崩御と称し,その葬儀を大喪と規定した。天皇の埋葬については,古くは明らかではないが,大規模な古墳にみる葬法と同様であったとみられる。しかし持統天皇の葬儀に当たり,初めて火葬が用いられ,以後二,三の例外を除いて江戸時代初頭まで火葬が用いられたが,後光明天皇のとき表向きは火葬を,実際には土葬を用い,孝明天皇のとき名実ともに土葬になった。天皇の葬儀に当たっては,殯宮(もがりのみや)を作って,斂葬(れんそう)(葬送)の日まで遺体を安置するが,古くはおおむね1年前後が例で,天武天皇のときは2年余に及

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  • 轜車(キグルマ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    〘 名詞 〙 貴人の葬儀に際して、棺(ひつぎ)を載せて運ぶ車。進行の際に哀音を発するよう車輪に特殊な構造を施す。喪車。きぐるま。[初出の実例]「其轜車霊駕之具、不レ得下刻二鏤金玉一絵中餝丹青上」(出典:続日紀‐養老五年(721)一〇月庚寅)[その他の文献]〔漢書‐王莽伝・下〕 き‐ぐるま【轜車】 〘 名詞 〙 貴人の棺(ひつぎ)をのせる車。大化の薄葬令で、皇族は四品(ほん)以上、諸臣は一位および大臣だけが用い、奈良時代には諸臣五位まで許されたが、平安時代には廃止された。[初出の実例]「王(みこ)たちより以上の墓は〈略〉其の葬む時の帷(かたひら)帳等に、白布を用ゐよ。轜車(キクルマ)有れ」(出典:日書紀(720)大化二年三月(北野訓))

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  • 「事蹟」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 09:50 UTC 版) 「シギ・クトク」の記事における「事蹟」の解説 1206年モンゴル帝国が成立すると、当時のモンゴル人にしては珍しくウイグル文字に通暁していたことをかわれ、チンギス・カンによって大断事官(イェケ・ジャルグチ)に任命され、徴税を担当した。1215年に金の中都が開城した時、シギ・クトクはオングル・バウルチ、アルカイ・カサルとともに財宝庫の接収のため中都に派遣された。この時、オングル・バウルチとアルカイ・カサルは金朝留守のカダから金幣を受け取ったが、シギ・クトクは受け取らなかった。後にこの一件を知ったチンギス・カンはシギ・クトクを褒め称え、オングルとアルカイ・カサルらを叱責した。1219年に始まる大西征にも従軍し一軍を率いたものの、ホラズム軍にパルワーンの戦いで大敗を喫してしまう。これは

  • 遺徳(イトク)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    〘 名詞 〙 後世に残された徳。死後に残された徳。[初出の実例]「是も文章の遺徳なり」(出典:史記抄(1477)八)[その他の文献]〔史記‐主父偃伝〕

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