青井陽治さんの旅立ちを昨日見送った。 上島雪夫さんも、城田優くんも、 大ぜいの舞台関係者が葬儀場を出る彼の魂を拍手で送りだした、カーテンコールで鳴りやまない拍手のように。 青井陽治さん、 僕にミュージカルを教えてくれた人、舞台のあらゆることを知り尽くしていた人。 1990年夏、僕は青井さんにお願いしてロンドンに10日間のミュージカル合宿の旅に出た。 今思えば贅沢な旅だった、だって青井さんとロンドンでミュージカル見ながら、 ミュージカルという演劇の表現形態をいわば個人教授として講義してもらう旅だったから。 青井さんはミュージカルとはどういうものかをお持ちの知識と感覚の全部で僕に教えてくれた。 歴史から始まり、有名タイトルのなぜヒットしたかのリーズンホワイ、脚本のありかた、ミュージカルの中の音楽の役割、ミュージカルの中でのメロディの在り方、ビッグナンバーの作り方、演出とはどんな仕事か、演出家が
水樹奈々さんの「ビューティフル」帝国劇場、前から4列目のど真ん中で観た。 伊礼彼方くんが水樹奈々さんの相手役をすると言う、 何が何でも観に行かなければ、と勇んで出かけた。 物語は「キャロル・キング」の個人ヒストリー、彼女が作曲し、歌った数々の名曲が歌われる。聞いたことある楽曲や歌手やグループ名が、僕がラジオかじりついて聴いていた同じ時代に、それらが語られ歌われて生まれてくる場所ではこういうことが起こっていたんだな、ってこと、1960年に15歳だった僕が50年以上も経ってから追体験できるって、それだけでジーンとしてしまう。 だから物語には入りやすい、分かりやすい。 水樹奈々さんは素敵だった、かわいかったし、懸命に生きたクリエイターの姿が彼女の歌を通じて伝わってくる。 そこが伝わったので何も問題はない。 でも、僕には少し物足りなかったように感じられた。 そう考え始めたのは、水樹さんはもしかした
「レ・ミゼラブル」を帝劇で観て来た。 僕のイメージしている「レミゼ」はそこにはなかった。 僕はこの演目が好きで今まで何十回観たか記憶にないほど見慣れている芝居だ。今年もつい数か月前にロンドンで観ていて、ああ「レミゼ」っていいなって思っていたから余計違和感があったのかもしれない。 いつ観ても感動が来る、階層社会の壁と人生の不条理さに立ち向かう人の精神の強さ、階層なんかには価値がなく一人の人間が誠実に生き自分では全うできなかったロマンを次代に託す、ココロ深く届いて幕が下りても椅子から立ち上がりたくないと感じたばかりだった。 今回の演出は見慣れた「レミゼ」をかなり変化させていて、その変え方が何を目的として居るか分からなかった。もちろん演出家には何かしら変える目的があるはずで、それがこの演目の持つドラマ本来の意図をその演出家なりに増幅させたいと思ってのことだとは思うが、そうした意図は残念ながら僕に
僕のキャリアの中で、初めてのヒット番組はTVアニメの「タッチ」ではなく、 ラジオ大阪の「アニメトピア」だった。 この番組はアニメと言う言葉を番組のタイトルに付けた日本で初めてのラジオ番組で 人気女性声優の麻上洋子(ヤマトの森雪役)、 吉田理保子(まいっちんぐマチコ役)をパーソナリティに起用した点も、 大御所声優さんの落ち着いたトーク番組はあったが 若い人気女性声優二人のアニメファン向けのおしゃべりバラエティ番組は無く、 当時としては画期的な企画だった。 企画が出来上がったゆえんは簡単で、「ヤマト」ファンだった僕が、東急エージェンシーがプロデュースした「アイゼンボーグ」の担当者だった縁で、出演者だった麻上さんがラジオ番組をやりたがっていたのを聞いて彼女主導のラジオ番組企画書を書いたのだった。 僕の手元には今でもトレーシングペーパーに鉛筆手書きの企画書が残っている。 生まれて初めて自分で書いた
2010/05/27 6:44 pm 王子小劇場で劇団柿喰う客の「露出狂」を観てきた。 面白かったが手放しで褒める訳には行かないな、と感じた。 ほめたいのだけどほめすぎると良くないなと思うのだ。観ている最中はかなり面白い。 終わった後に何がしかの空気が残らないところにやや問題がある。ずしっと来ない。 何が問題かというと、人間が描かれていない、ので登場人物に思い入れができない。 どんな人なんだろうか、がわかって、その人の置かれている状況がわかり、 悩んだり怒ったり喜んで、 しかも、物語が始まったときより、その人およびその人たちの心情が何かしら動いて終わる、 その人の心の思いに自分の思いが乗り移る、 幕が下りるときにはその人の思いを共有している。 そういう劇の観方がぼくは良いと思っている、そこが欠けていた。 たぶん作・演出の人はそこ作っていないのは分かっていたように見える。 ラストシーン、これ
「マイ・フェア・レディ」東京芸術劇場プレイハウスを観た。 完成された舞台、これを観ると何にも言うことなくてただただおもしろかった、 良かったっていうだけになる。 ストーリーは完璧、演出もどこにも大きな不満はない、音楽も耳に心地よい。 衣装も舞台美術もきちんとできていて破綻がない、転換もとてもスムーズ。 ただそれで心にずしんと来る何かがあったかっていうと、なにも無い。 3時間とてもいい気持にさせていただきありがとう、って言うだけ。 払ったチケット代の12,500円も別に名作の研究費としては高くない。 でも不思議ですね、こういうの。 やはり芝居ってその時の何かしら時代の空気映し出すものがないと 心揺り動かされることがない、のか、 それともやはり僕がこの手の出来上がったラブストーリィの舞台が 単に趣味でないのか、自分でもよくわからない。 ただのあまのじゃくだけなのかもしれない。 友情とか、チーム
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く