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  • 安保徹氏の訃報、及び風説/陰謀論(前編)|祭谷 一斗

    この原稿では去る12月6日に亡くなった安保徹氏について、発生しつつある風説の真偽、及びその形成過程を取り上げる。前編ではまず、以下の主張を検証する。 Q:12月6日に亡くなった安保徹氏の訃報は新聞に載っておらず、不自然ではないのか?(これは何かの陰謀でないのか?) 無論、訃報は没後すぐ載るとは限らない。 そのため私は、いわゆる四大紙の一定期間内の訃報を確認した。 対象は12月7日の朝刊から14日(日)の朝刊である。 まず、結果は以下だ。 ・読売新聞 掲載無し ・朝日新聞 掲載無し ・毎日新聞 掲載無し ・産経新聞 掲載無し 当方の見落としでない限り、掲載が無いことは判明した。 だが、結論を出すのは早い。 まだ大きな問いが残っているからだ。 すなわち、 Q:この非掲載は妥当なのだろうか? そこまで明確ではないが、ともあれ期間中100人近くの訃報に目を通すと、掲載基準は見えてくる。 ・国会議

    安保徹氏の訃報、及び風説/陰謀論(前編)|祭谷 一斗
  • 安保徹氏の訃報、及び風説/陰謀論(後編)|祭谷 一斗

    ( 前編はこちら ) 後編は安保徹氏死後、陰謀論の形成過程を追う。 ただし、文中の個人、及び団体を糾弾する意図はない。 その点を留意の上で、目を通して頂けると幸いだ。 では、順に追って行こう。 12月6日 突然のことですが、 日12月6日、安保徹先生がご逝去されました。 安保徹オフィシャルブログ(※リンク先ブログタイトル変更済) 発端は公式ブログだ。後の講演も予定されていた急死であり、当人のたびたびの主張とは裏腹に、長生きしたとは言いがたい年齢(享年69歳)である。twitterなどのSNSでは、この時点で主に事実のみがつぶやかれている。 12月8日「過去の講演会で 「ここだけの話、皆さんだけに言っちゃうんだけっども、わだす狙われてるんですわ。研究室は何度も荒らされてるし もし、突然死ぬようなことがあっだらば殺されたんだと思ってねー!」と冗談半分(気半分)に話し会場に笑いを振りまいてら

    安保徹氏の訃報、及び風説/陰謀論(後編)|祭谷 一斗
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