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ブックマーク / asay.hatenadiary.jp (9)

  • そんな宛名のない手紙:やまがた県に移住します - 紺色のひと

    こんにちは。なんでも地球温暖化とか異常気象に結び付けて語りたがるひとに辟易する今日この頃、あなたがいかがお過ごしか皆目見当もつきません。 春から生活が一変するので、この場をお借りして報告いたします。 家族で山形に移住することにしました*1。ちなみに、ブログタイトルを変える予定はありません。 普段、「まだ都会で消耗してるの!?」という大上段の煽りを冷めた目で眺めている*2側としては、地方都市(東京ではないにしろ、いちおう東北以北最大都市である札幌)を離れ、人口がより少ない町に移り住むという行為について、このはてなダイアリーの場でお報せすることに若干のためらいがないこともないのですが、それはともかく*3。 ◆動機とか 「あの町が忘れられなかった」のだと思います。 とある町で学生時代を過ごした3年間、寮生活や大学での研究生活はすばらしいもので、卒業後しばらくしてと付き合うようになった頃、「あな

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    TRACK 2015/02/14
  • 最期の終末 - 紺色のひと

    まあその、なんだ。 僕の話です。 僕にとって、24歳という年齢はちょっと特別だった。 高校生くらいのとき、自分がこの先どんなふうに歳をとっていくのかを想像してみたことがある。高校を出て、大学に通って、仕事をして、24歳になって、そのあとがぷっつり途切れて、次の僕はじいさんになっていた。近所の若者にうざったがられながらも飄々としている、変わったじいさんだったと思う。高校生当時の僕の想像力の限界が24歳ということだったのだろう。若者にとっての大人で、若者のことも理解できそうな、都合のいい年齢。 僕にとってこの24歳の呪縛はなかなかに大きく、「25歳になるまでにやったことないことをやらなければ」と思って取り組んだのが初めての女装だったりと、今も引きずっているやっかいなものだ。 あれから5年。 僕は30歳になる。 この5年間について”いろんなことがあった”という言葉でひと様に総括できるほど僕は自分

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    TRACK 2013/07/29
  • 花の名という題名 - 紺色のひと

    ずっと、「あの花の名はなんだ」というタイトルの小説を書きたいと思っている。アニメ「あの花」が出てきたときは正直やられたと思った。それはともかく、寮を舞台にした私小説を書いたとき、同じ題の章を書き始めたが、友人の死についてうまく言葉にできなかった。 あちこちに出張が多い月で、あっという間に月末。夜にマチ子をお風呂に入れるのが楽しいが、それ以外の部分でをフォローできているか不安な部分はある。 「思い込みで話を進めることがあるよね」とに言われ、激昂しそうになる。それはもの凄く嫌な部分だ。 去年より忙しいわけではないはずなのに、生活に余裕がない。子どもが生まれたからとかではなく、自分のスタンスがブレ始めているのだと思う。 山形で暮らす友人から、結婚の報せが届く。相手のこともよく知っているので、ようやくか、と感慨深い気持ちになる。彼だけではなく、先輩や後輩で、あの町に根を下ろしてやっていこうとす

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    TRACK 2012/06/24
  • 男!ふんどし!『ケイメイ寮祭 THE FINAL』のすべて - 紺色のひと

    僕が大学生活を送った寮には、ふんどしになって夜の街を練り歩き、最後には公園の堀に飛び込む――という実に「大学男子寮のステレオタイプ」な寮祭がある。諸事情により今年で45年の歴史に幕を閉じることになった寮祭を淡々とレポートするよ。 『世の中には二種類の男子寮がある。「きれいな男子寮」と「残念な男子寮」だ――』 僕は自分の暮らした寮についてこう書いた。もちろん僕が居たのは残念なほうの男子寮で、汚かったり、苦しかったり、暗かったり、説明しようとするととても3つでは足りないくらいのKが付く。きれいなほうの男子寮の代表格たるイケメンパラダイス的な空間が実在するのか、僕は知らない。まぁ、それはともかく。 僕は同じ寮生だった友人から、「今年で寮祭が最後になる」との報せを受け取った。詳しい事情はわからなかったけれど、ともかく僕は仕事を休み、東北へ飛んだ。そう、魂を置き去りにしてきた、山形のあの町を目指して

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    TRACK 2011/11/23
    [?D]楽しそう
  • 熊森協会、初の北海道講演を傍聴してきた - 紺色のひと

    10月30日、日熊森協会では初めてとなる北海道講演が開かれました。僕は以前から「熊森協会の理念には大きな歪みがあり、どんぐり運びをはじめとする彼らの活動ではクマのためにも森のためにもならないのでは?」と感じ、ブログ上で活動の問題点の指摘を行ってきました。実際に森山会長のお話を聞けるいい機会だと思い、参加してきたのでレポートします。 ※熊森の公式ブログにおける講演レポートについて※ 11月3日、熊森協会公式ブログである「くまもりNews」において、講演のレポートがアップされました。熊森協会から参加されたのは森山会長のみであったため、記事を書かれたのは会長ご人であると思われます。 読者の皆様におかれましては、以下のアサイによる講演記録と読み比べていただき、内容の要約や参加人数に意図的なものを感じないか、各自でご検証いただければ嬉しいです。 10/30 北海道初緊急くまもり集会(札幌)に

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    TRACK 2011/11/02
  • 記念写真と荒ぶる妻の安定期的な何か - 紺色のひと

    10月10日、結婚式から丸二年が経過しました。 昨年と同じ場所で記念撮影をしよう、ととでかけ、例によってポーズをキメて写真を撮りました。 ついでと言ってはなんですが、ご報告があります。 まずは、一年前の写真。記事はこちらの「記念写真と荒ぶる鷹のポーズ的な何か」。 そして今年の記念写真はこちら。 顔面に修正が入っていないのは、今年の夏に「顔の見えるインターネット」でインタビューしていただいた記事以降、webで顔を隠さなくなったから、というわりとどうでもいい理由です。 (13.10.15 修正しました) 昨年以来、すっかり荒ぶる鷹のポーズが気に入ってしまったので、今年も挑戦しました。 複数回撮影しましたが、見よ、自分でも驚く抜群の安定感! さて前置きが長くなりましたが、拙ブログを読んでくださっている皆様にご報告があります。 きょうで、妊娠五ヶ月を迎えました。 悪阻で体調が悪くなっている

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    TRACK 2011/10/30
  • 僕の妻は俺の嫁 - 紺色のひと

    エルトン・ジョンの名曲に「Your song」(邦題「僕の歌は君の歌」)があります。僕が初めて付き合った女の子に教えてもらった歌です。そのこととは全く関係ありませんが、三度目の結婚記念日を迎えました。 初めての結婚記念日…というか、結婚前夜のことはよく覚えています。が飲み会で酔っ払って帰って来てそのまま居間で寝てしまったので、引越し後荷物が片付いていない居間の隅でキャンプ用マットを敷き、僕は室内ビバークを強行したのでした。 さて、エントリでは、twitter等で愛家として知られているすもけ氏ことsmokeymonkey氏に最大限の賛美を送るとともに、憎らしいほどの愛ツイートをまとめた「は俺の嫁−togetterまとめ」の手法を踏襲させていただき、僕の関連ツイートを振り返ってみようと思います。 条件は、 ふぁぼったーで赤ふぁぼ(5fav)以上 に関連するツイート としました。3

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    TRACK 2011/05/07
  • もし森ガールがゆるゆるファッションで実際に『森』へ入ったら - 紺色のひと

    森ガール――”森にいそうなファッションの女の子”――というmixi発祥の言葉が市民権を得て久しいです。クマさんリスさん妖精さんらに囲まれて、やわらかな木漏れ日の中でまったりと時間を過ごすイメージなのでしょう。しかし山男や森ボーイ、そして野外活動を好む女性の皆様におかれましては、そんな風潮にどこかモヤモヤした感情を隠せなかったことと思います。そう、森はそんなに甘くない、と。 ということで、森ガールが(正確には森ガールっぽく女装した森ボーイが)ふわふわファッションで森に入るとどういうことになるのか、実際に試してみました。 まず、森ガールとは 「森ガール」とは文化系女子のライフ・ファッションスタイルのひとつです。森ガールの定義は多々ありますが、代表的なものを森ガール雑誌より引用します。 ゆるい感じのワンピースがすき パフスリーブにきゅんとする ラウンドトゥが好き 友達に「森にいそうだね」と言われ

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    TRACK 2010/07/19
  • 軽蔑のひと - 紺色のひと

    僕は普段の生活を送る中で、他者への軽蔑をごく日常的に行っている。もちろん、心のどこかで思っていることを表立って表現することに僕はなんら意味を感じないし、こんな僕だって好き好んで他人の悪口なんて言いたくはない。大抵、黙っている。酔っ払ったり、心に隙があったりすると、ぽろりと漏らしてしまうことがあって、僕はそれを聞いていたのが心許せるひとであれば安心し、そうでなければ弁明する(今のところ深刻な弁明の経験はほとんどと言っていいほどない)。 さて、自分の負の感情を出さずに生活していると起きる弊害として、反論ができなくなる、というのが挙げられることに気づいた。恋人と話していても、職場で上司と話していてもそうだ。職場においては「思考はどうあれ結果的にイエスマン」とまで笑われている始末だ。以前「議論の余地しかない(議論ニガテについて) - 紺色のひと」というエントリでも言及したけれど、僕は自分の考えてい

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    TRACK 2008/12/03
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