タグ

ブックマーク / www.isas.jaxa.jp (4)

  • ISAS | 宇宙インフレータブル構造物 / 宇宙科学の最前線

    インフレータブル構造物とは インフレータブルとは「膨張できる」という意味です。膜面を内圧ガスで膨らませた空気膜構造物としてのインフレータブル構造物は,地上建築物としてすでに長い歴史を持っています。1970年の「大阪万国博覧会」では多数の空気膜構造物パビリオンが出現しました。また,最近では東京ドームがよく知られています。空気膜構造物の特徴は,大空間が作れる,建造工期が短い,低コスト,地震に強いなどですが,これらの特徴は宇宙構造物にも適していると考えられます。1960年代にはアメリカが空気膜構造物を衛星構造に適用し,ECHO衛星シリーズを打ち上げました(図1)。これは地球からの電波を球形表面で反射して通信する,受動的通信衛星を狙ったものでした。しかし,その後はトランスポンダを搭載する能動的通信衛星が主流になったため,宇宙インフレータブル構造物はしばらく途絶えていました。 近年になって,大型宇宙

    T_TAPER
    T_TAPER 2015/02/06
    インフレータブルは今後もっと重要になってくるから抑えておきたい
  • 日本の宇宙開発の歴史 [宇宙研物語]

    の 宇宙開発の 歴史 [宇宙研物語] 宇宙科学研究所の歴史は、遠く1950年代の東京大学のロケット実験までさかのぼることができます。この50年以上にわたる日の宇宙開発の歴史を、貴重な当時の写真・映像とともにお楽しみください。

    日本の宇宙開発の歴史 [宇宙研物語]
    T_TAPER
    T_TAPER 2015/01/04
    デザインがめちゃくちゃカッコいいが、ISAS
  • 日本の宇宙開発の父 糸川英夫 生誕100年記念サイト 宇宙科学研究所

    2012年は「日の宇宙開発の父」糸川英夫の生誕100年にあたります。 糸川英夫は、1954年、東京大学生産技術研究所内に航空工学、電子工学、空気力学、飛行力学などの分野の研究者を集め、格的に日のロケット研究をスタートさせました。1955年のペンシルロケットの水平試射に始まった日の宇宙開発は、1963年には人工衛星の打上げを目指し、M(ミュー)ロケットの開発に着手しました。その前段としてのL-4Sロケットによる日初の人工衛星打上げが苦戦を強いられる中、糸川は東大を退官、その夢を後進に託しました。 日の宇宙開発をリードした糸川英夫、その血脈が現在のJAXA宇宙科学研究所へと受け継がれています。 2003年、日の小惑星探査機「はやぶさ」打上げから3ヶ月後、探査機の目的地である小惑星25143が糸川英夫にちなんでイトカワと命名されました。「はやぶさ」はイトカワ到着後、表面の観測とサン

    T_TAPER
    T_TAPER 2015/01/04
    糸川英夫の正史といえるが、答申4号作成にどの程度関与していたのかが非常に気になる
  • システム工学は焼き鳥の串 | 日本の宇宙開発の歴史 | ISAS

    宇宙科学研究部の前身である宇宙科学研究所の主要な活動の一つは、ロケットの設計開発だった。「ロケットの研究に必要な学問分野は何ですか」とよく聞かれるが、あまり簡単に答えることはできない。まずロケットは燃料を燃やして、それをお尻の方から噴出して推力を得る。この推進の研究を行うには、燃焼理論が必要である。燃えたガスの流れを研究するために流体力学も要る。燃やすとその熱に耐える物質の化学について研究する。 第2に、燃料を入れておくケースや段間の切り離し機構についての研究のために、材料力学や構造力学が要る。飛んでいる最中に空気の力や突風などの影響でロケット自体が曲げられたり、その運動が変化したりする効果を知らないから、空力弾性学の知識も要求される。 第3に、飛んでいるロケットを電波で追跡したり、ロケットから送ってくるデータに関する複雑な電波信号を受信したりするのに、電子通信工学、電子工学の研究を積ま

    T_TAPER
    T_TAPER 2014/01/15
    もうシステム工学史とかでもいいような気がしてきた…つらみ
  • 1