先日、私は自分のブログにこんなブログ記事を書いた。 だけど、叱られない社会をみんなが望んだ。 相互不干渉の浸透した社会のなかで他人に干渉することはますます難しく、勇気の必要な、リスクを孕んだものになっているわけだから、私たちはおいそれとは他人を叱れないし、他人に叱られにくくもなった。 ここでいう「他人に叱られにくくなった」とは、他人に叱られる頻度が低下したという意味だけでなく、他人に叱られ慣れなくなった、という意味も含んでいる。 他人から鬱陶しがられそうな言動を繰り返していても、相互不干渉がマナーになっている現代社会では、誰かが叱ったり注意したりしてくれることは少ない。 自分を叱ってくれる人、それもちゃんと心に刺さるようなかたちで叱ってくれる人は貴重な存在だ。 先日AERA.dotに掲載されていた以下の記事は、まさにそのことを思い出させる内容だった。 66歳男性が風呂場で涙… 友人もいない
![個人主義社会は、自分自身を省みる機会も能力も無い、「唯我独尊」の人間を大量生産する](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/6db1bec4fc453d20b0f8cfcc42af64b761c1c918/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fblog.tinect.jp%2Fwp-content%2Fuploads%2F2019%2F05%2F15005879432_a031c0b15e_h.jpg)